ニュースレター

2011年06月17日

 

ふるさとの木を植えて、いのちを守る森をつくろう ~植物生態学者・宮脇 昭さん~

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JFS ニュースレター No.103 (2011年3月号)
シリーズ:日本のエコ人物伝 第2回


植物生態学者(横浜国立大学名誉教授、IGES-財団法人国際生態学センター長)の宮脇昭さんは、40年以上にわたり、日本をはじめ世界各地の現場で残存自然植生調査をおこない、その土地の潜在自然植生に基づいた森づくりを進めてきました。

「潜在自然植生」とは、長い間の人間活動によって環境や立地条件が変わってしまった土地で、もし今、人間の影響をすべて停止したと仮定して、その土地の自然環境がどのような植生を支える能力をもっているのかを理論的に考察する、という概念です。1956年に、ドイツの植物生態学者ラインホルト・チュクセン教授が、植生の第三の概念として提唱しました。

この概念を応用し、その土地本来の潜在自然植生を構成している主な樹種を混植・密植する森づくりの手法は「宮脇方式」といわれています。高木や亜高木など、何種類もの樹苗を自然の森のシステムにそって不規則に混植・密植することで、多様性と我慢から共生を生み出し、樹木本来の生命力を引き出すのです。除草など成長に手助けが必要なのは植樹後の3年間だけで、その後は自然の管理にまかせることも特徴です。

宮脇さんがこれまでに植樹指導をした地域は、国内約1,400カ所以上。ボルネオ、アマゾン、ケニア、中国などの海外を含めると1,700カ所以上にのぼり、約4000万本を超えるふるさとの木を企業や市民と共に植えて、ふるさとの森づくりに貢献してきました。

2006年、宮脇さんは地球環境保全に貢献した研究者に贈られる「第15回ブループラネット賞」に、日本人として初めて選ばれました。徹底した現場主義を貫き、緑と向きあってきた宮脇さんの半生をたどりながら、植物が私たちに教えようとしている、進むべき未来について考えてみましょう。


「潜在自然植生」という概念との出会い

宮脇さんは1928年、岡山県の農家の四男として生まれました。1945年の終戦直前に、生物の教師になるために東京の農林専門学校(現:東京農工大学)に学び、一旦は母校の高校教師に着任します。しかし、「もう少し勉強したい」という思いから1年でその職を辞して、郷里にほど近い旧制広島文理科大学の生物学科に入学、雑草生態学を専門とする研究者の道へと進みました。

1952年、横浜国立大学の助手に採用された宮脇さんは、その後の6年間、春夏秋冬の各60日間、年間で240日間を費やし、日本列島の雑草群落のフィールド調査に明け暮れます。そしてその研究成果である、雑草の根の形態を比較研究した論文をドイツ語で植物学雑誌に投稿しました。この論文が、当時の西ドイツ国立植生図研究所長ラインホルト・チュクセン教授の目にとまり、人生の転機となるドイツ留学の道が拓けたのです。

1958年9月30日、56時間をかけてドイツに到着した宮脇さんを待ち受けていたのは、翌日からの現場、現場、現場の毎日でした。主な研究調査地はドイツ最大の自然保護地域のリューネブルガーハイデ。過放牧や伐採など、数千年にわたって繰り返された人間活動によって森が退化し、生産力の低い荒れ地になってしまったところです。

土壌断面と植物との関連を調べるために一日中穴を掘る日もあれば、植生調査をしながら移動し、研究所に持ち帰った膨大なデータを数日かけて整理するという日もありました。かつてそこにあった広大な森がどのような植生だったのか、どんな生態だったのかを、現存するわずかな手がかりから読み取るために、地道な作業を繰り返す日々です。

たまりかねて「もう少し文献研究などの科学的な研究がしたい」と訴えた宮脇さんに対し、チュクセン教授の返答は、「まず現場に出て、自分の体を測定器にして、自然がやっている実験結果を目で見、匂いをかぎ、舐めて、触って調べろ」でした。

その後、雑草群落の研究で学位論文を発表した宮脇さんは、チュクセン教授の下で植物社会学の研究法とともに、「潜在自然植生」という概念と、その調査・研究・判定法を徹底的に教え込まれ、雑草から森へと研究の関心を移していきました。


不遇の時代を超えて

帰国した1960年末からの10年間は、宮脇さんにとっての不遇の時代といえるでしょう。ドイツから持ち帰った植物社会学は、当時の日本の学会ではさしたる評価もされないうえ、欧米で高まりつつあった自然保護の思想も、緑化による防災の提案も、経済発展優先の日本社会にはなかなか受け入れられません。大学では学生運動の嵐が吹き荒れ、研究室での研究もままならない時もありました。

そのような中で宮脇さんは、本格的な植物社会学の調査方法で、アメリカから返還されて間もない奄美諸島を皮切りに、日本各地を歩いて現地植生調査を徹底的に行います。そして、成果をまとめて、現状を図化した現存植生図と土地本来の線を示す潜在植生図を作成していきました。

「この10年間の泥臭い調査、研究があったお蔭で、私の生涯の研究活動発展の基礎ができあがったのだ」。宮脇さんは著書でこのように述懐しています。

1970年代に入ると、各地で自然破壊が明らかになり、その対策として、工場立地法の施行による緑化の義務化などが課されるようになりました。そうすると、その対処のために先進的な企業や自治体が宮脇さんの研究室を訪れるようになりました。

研究成果も国内外で認められ、日本の植物生態学界で植物社会学的研究が一気に花開いていったのもこの頃です。この流れは、1980年から10年間をかけて完成した全10巻、本文6,000ページ、総勢116名の植物学者の参加による、植生学の金字塔ともいうべき『日本植生誌』の刊行へとつながっています。


鎮守の森に学ぶ

人間の手で変えられてしまった土地では、その土地の潜在自然植生は、現場で自然が発しているかすかな情報を見出し、判定するしかありません。宮脇さんに判定のヒントを与えたのは、寺や神社の鎮守の森や、古い集落などに残る屋敷林などでした。

日本では古くから、開墾して田畑や集落をつくる時に、尾根筋、急斜面、水際など、人間の干渉に弱い部分の自然を、神が宿る場所として祀り残してきた文化がありました。こうして世紀を超えて人間の干渉から逃れてできた森は、主木である高木層、それに従う亜高木、低木、下草をセットとする安定した多層群落の森の姿をして、後世への貴重なタイムカプセルの役割を果たしていたのです。

また、調査で明らかになった日本列島の潜在自然植生は、北海道と東北地方の山地を除くとほとんどがシイ、タブ、カシ類を主木とする常緑広葉樹(照葉樹)林でした。そして、現存する照葉樹林はこの100年間の人間活動の影響を受けて急激に変形、または消滅し、潜在自然植生域のわずか0.06%しか残っていませんでした。


いのちを守る森をつくろう

宮脇さんが提唱する「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」は、1971年の新日本製鐵大分製鉄所から始まりました。近くの鎮守の森からドングリを拾い、苗を育て、関係者とともに本気で取り組んでつくられた森は、今では樹冠20メートル以上の立派な防災・環境保全林として機能しています。今後も地震やそれに伴う大火には火防(ひふせ)の森、津波に対しては波砕効果を果たすいのちを守る森として、後世に引き継がれることでしょう。この取り組みの成果は、その後のさまざまな企業や自治体、NGOが宮脇方式の森づくりに取り組む契機となりました。

1976年からは、東南アジアの植生調査も始まりました。これまでにボルネオ、アマゾンの熱帯雨林の再生、赤道直下のケニアのグリーンベルトムーブメントへの協力、中国の万里の長城での植林、上海のアーバン・フォレストづくりなど、破壊された森や砂漠化が懸念される地域に、科学的な知見に基づいてその土地本来の樹木で再生する森づくりが、地域のリーダーや市民とともに進められています。

なぜ木を植えるのか、これまでに幾度となく向けられてきたであろう問いに対する宮脇さんの答えはシンプルです。「森はいのちそのものです。人間は森に支えられて今日まで生き延びてきました。明日を生きるそのいのちの証は、今日、木を植え、本物の「いのちの森」をつくることから始まるのです」。

「生物学的に可能なあと30年は生きのびて、世界中の人たちと一緒に、自然の掟、生きものの条件に沿った未来志向のいのちの森をつくっていきたい」。今年83歳の宮脇さんはこのように述べて、今日も、国内、世界各地の現場で木を植え続けています。

生きものにとっての明るい未来がこの先に確かに続いていることを実感するためにも、ふるさとの森のドングリ一粒から始まるいのちの森づくりに、多くの人が参加することを願っています。

<参考web>
JFS関連記事:
【バイオミミクリ】生態系をまねる ~土地本来の植生に学ぶ宮脇メソッドによる環境防災林づくり  植物生態学者 宮脇昭氏の事例       
http://www.japanfs.org/ja/pages/008929.html
宮脇昭氏プロフィール
http://www.jise.jp/jise/staff/miyawaki.html
財団法人国際生態学センター
http://www.jise.jp/top1.html

<参考資料>
一志治夫(2004)「魂の森を行け 3000万本の木を植えた男の物語」集英社インターナショナル
宮脇昭(2006)「苗木三〇〇〇万本 いのちの森を生む」NHK出版
宮脇昭(2006)「木を植えよ!」新潮選書
宮脇昭(2007)「鎮守の森」新潮選書
宮脇昭(2009)「いのちの未来 植物が教える人類の進むべき道」株式会社サンガ
宮脇昭(2010)「4千万本の木を植えた男が残す言葉」河出書房新社


(スタッフライター 八木和美)

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