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パタゴニアがビジネスを続ける理由

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第4期・第11回講義録

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辻井隆行氏
パタゴニア日本支社長

1999年、パートタイムスタッフとしてパタゴニア東京・渋谷ストア勤務。2000年に正社員として入社後、パタゴニア鎌倉店舗スタッフを経て、マーケティング部に異動。「プロセールス・プログラム」「アンバサダー・プログラム」などの新規プロジェクトを立ち上げる。その後、ホールセール・ディレクター(卸売り部門責任者)、副支社長を歴任し、2009年3月より現職。

◆講義録

ここでは、パタゴニアという企業がなぜビジネスをスタートしたのか、また、私たちにとって大きな岐路となった過去の経営判断の例をご紹介したいと思います。また、その過程で、どのようにしてミッション・ステートメント(理念)が出来上がり、現在、その理念をベースとしてどのようなスタンスでビジネスを続けているのかについてもお話しします。そのような内容を通じて、私たちがビジネスを続けている理由や、それがどのように持続可能性と関係しているのかをお伝えすることができればと考えています。


パタゴニア誕生

事業の始まりは、ロッククライミングの愛好者でもあった創業者のイヴォン・シュイナードが、1950年代の後半に「ピトン」を自らつくり始めたことです。イヴォンは今年72歳になりますが、今も非常に元気で、年間の3分の1ぐらいはオフィスにいて、残りは講演会や環境活動の現場に赴いたり、そうでないときにはフライフィッシングかサーフィンを楽しんでいます。

「ピトン」とはロッククライミングの際に、岩の割れ目にハンマーで打ち込んで、そこにロープをかけて安全を確保するための道具です。当時のアメリカでは、ヨーロッパから輸入された軟鉄製のピトンが使われていましたが、花崗岩の多いアメリカの環境にはあまり適していませんでした。その上、いったん打ち込むと抜けにくいため、たくさんのピトンを持っていかなくてはなりません。そこで、当時ボーイング社の飛行機のプロペラにも使われていた鋼鉄に目をつけたイヴォンは、自分で鍛冶仕事を勉強して新しいピトンをつくって販売し始めました。軟鉄製のものより値は張りましたが、繰り返し使えるクロモリブデンという鋼鉄製のピトンは瞬く間にクライマーの間で評判になり、70年代初頭には、ニッチなマーケットであるとはいえ全米シェア1位を獲得するまでに成長します。

ところが、ある日クライミングに出かけたイヴォンは、自分がつくったピトンの抜き差しによって岩盤がボロボロに変形しているのを目の当たりにします。自分の商品がフィールドを壊すのを見てショックを受けたイヴォンは、主力製品であったピトンの販売から完全に撤退し、岩場を傷つけにくい新しい道具の開発に着手します。今度は、岩盤にハンマーで打ち込む代わりに、割れ目の大きさに応じて手で押し込むように使う「チョック」という道具です。ヨーロッパでは安全面で信頼性の低かったこの道具に改良を重ねました。そして、イヴォンは仲間と共に、新たなピトンを打ち込むことなく、実勢にヨセミテ国立公園にある「ハーフドーム」という難しい岩壁を登ってみせたのです。その出来事を契機に、ピトンに代わるチョックに対しても顧客の支持を得て、ビジネスは順調に成長します。この出来事は、パタゴニアが「利益」と「正しいこと」のどちらを選択するのかを迫られた最初の決断でもありました。


ビジネスを手段に環境問題に取り組む

その後、70年代後半以降、クライミングウェアを皮切りに次々に新しい素材を開発し、さまざまなウェア類も手がけるようになりました。例えば、あまり知られていませんが、今では市民権を得たフリースを最初に開発したのもパタゴニアです。

画期的な製品を投入し続けた80年代を通じて順調な成長を続けましたが、90年代に入るとアメリカの大不況の煽りを受けます。そして、当時600人いた従業員のうち120人をやむを得ず解雇するという経験をします。小さな企業ですから、従業員といえばイヴォンのクライミング仲間や親戚など近しい人ばかりで、本当に苦しい選択でした。そのころイヴォンは、初めて外部の有名なコンサルタントにビジネスについて相談します。そこで、「ビジネスを通じて環境問題を解決したい」と話したところ、「もし本当なら、今すぐビジネスを売却するべきだ」と言われ、ますます混乱したイヴォンは「自分が何故ビジネスを続けているのか」という問いに改めて向き合うことになります。イヴォンには、環境問題に関して何かをしなければならない、という確固たる信念がありました。実際に、既に73年には、本社のすぐ側を流れるベンチュラ・リバーを守る運動に、部屋と電話を貸し出すという直接支援を行っていますし、85年には売り上げの1%を草の根の環境団体に寄付する「環境税」を始めています。個別の寄付金額は決して多額ではありませんが、現在では寄付総額は4,000万ドルにのぼり、毎年、日本の団体を含む1,000以上のグループに寄付を行っています。

そうした中、イヴォンは経営幹部十数名を連れて、南米パタゴニア地方の原野を訪れ、テント生活をしながら「自分たちは何のためにビジネスをするのか」、「自分たちの理念や存在意義は何なのか」について徹底的に議論しました。結局、ビジネスをたたむのではなく、それを手段として環境問題の解決に貢献しようという考えに行きつきます。「最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」という現在のミッション・ステートメントのベースとなるものが、ここから徐々に出来上がっていきます。それ以降、あらゆる経営判断の際には、必ずミッションに立ち返ってビジネスを続けています。日本支社でも、例えばイベントの実施ひとつ取っても、それがミッションにどう貢献するのかといった議論を行ったりします。


サプライチェーンを巻き込んだオーガニックへの転換

これまでご紹介した通り、企業として直接支援や金銭的援助は続けてきたものの、自らが製造している製品自体の環境負荷については、まだまだ理解しきれていない部分がありました。そこで、1991年には、製品に使用するポリエステル、ナイロン、コットン、ウールの4つの繊維について、製造、運搬、製造、消費、廃棄までの各工程におけるフットプリントを調査することにしました。

当たり前ですが、4つの繊維すべてが環境に対して何らかの負荷をかけているという結果が出ます。石油由来のポリエステルやナイロンの環境負荷が高いことはある程度想像していましたが、特に衝撃的だったのは、比較的環境負荷が低いと考えていた天然繊維であるコットンが、非常に大きなインパクトを環境に与えていることでした。

コットンの耕地面積は穀物全体が地球上で使用する面積のわずか1~3%程度と言われていますが、その栽培には非常に多くの農薬や化学製品が使われていて、従事者にも非常に悪い影響があることがわかりました。数多くの天敵から綿花を守るために大量の殺虫剤を使う上、機械による収穫時に邪魔になる葉を落とすために人体への影響が非常に大きいとされる枯れ葉剤すら使用します。このため、農業従事者は、テロ対策の特殊部隊が使用するような毒ガス用マスクをつけなければならないほどでした。こうした現状を知り、十分なオーガニック・コットンの流通量が不足しているためにコストが倍近くに跳ね上がったり、全セールスの20%を失うかも知れないというビジネス的なリスクがあるにもかかわらず、イヴォンや当時の経営幹部は農家やサプライチェーンを巻き込んででもオーガニックに切り替えるという決断をします。

通常3年間は有機農法を継続しないと「オーガニック・コットン」という認証が得られない上、人件費などのコストが高く、売れるという保障もないオーガニック農法に切り替えることは、コットン農家にとって非常に大きなリスクを伴います。そこで、私たちは「認証」を得ているかどうかは問題にせず、オーガニックに移行する意思さえあれば、サポートし続けることを約束して、農家にオーガニックへの転換を促しました。私たち自身にとってもセールスの20%がかかったプロジェクトであるにもかかわらず、「認証」にこだわらないという方針は、ある意味でリスクを伴うものでした。しかし、私たちの目的は、いわゆる「グリーン・コンシューミング(「環境」を売りにした販売促進)」ではありませんでした。サプライチェーンと協力しながら、オーガニック・コットンの供給を増やすという目的に集中し、96年には無事にすべてのコットン製品を有機的に育てられた綿花によるものに切り替えることに成功します。

その結果、90年代の不況も相まって1年目の売り上げは激減しました。しかし、幸いなことに、翌年からは顧客の支持をいただくようになり、売り上げは回復します。オーガニック・コットンへの転換は、それまでの品質の定義であった、着心地や耐久性、色やデザインなどに加え、環境という視点が加わったことを強く認識した出来事でした。

その後、少しずつオーガニック・コットンに興味を持つ企業が増えていきます。その中でもナイキは、担当者と一緒にテキサスの農家に視察に行ったり、生地のベンダーやサプライチェーンを紹介するなどした結果、当時のコットン製品の1%相当をオーガニックに切り替えるという決断をします。当時も今も、ナイキのビジネス規模は私たちよりはるかに大きいため、農家のオーガニックへの切り替えを企業がサポートするという観点から、1%といっても非常に大きな意味があります。

こうした出来事を通じて私たちが学んだことは、自分たちのビジネスの中で起きていることを、顧客だけではなく同業他社などにも伝えることで、課題解決に向けてさまざまな影響を与えることができるということです。このような取り組みを根気強く続けることは、最終的には資本主義のあり方を変えることにつながるのではないかと考えています。


ビジネスのあり方に一石を投じたい

他企業とのつながりの例をもう一つご紹介します。ウォールマートという企業があります。ご存じの通り、"Everyday Low Price"というキャッチフレーズを掲げ、小売業世界第2位にまで発展した大企業です。誤解を恐れずに言えば、大量に消費して、大量に廃棄するという思想を推し進めた企業の代表選手と考えても良いかも知れません。しかし2005年ごろ、オーナーや経営者は、オイルピークを始めとするさまざまな資源・環境問題を知るにつれ、それまでのビジネススタイルを持続することは難しいと考えるようになったそうです。

ちょうどそのころ、彼らの経営幹部15人がパタゴニア本社を訪れ、私たちは会社のミッション・ステートメントやビジネスの現状について紹介します。それまでウォールマートでは、とにかく安いものをたくさん買い付けてくることがバイヤーの仕事だと見なされていたそうですが、2008年10月の社内会議で、サプライヤーの社会的な責任や環境配慮、仕入れる製品に関する環境と人体への影響を徹底的に調べるよう求められたそうです。

今では"Save Money. Live Better"を掲げるウォールマートは、オーガニック・コットン使用量は世界一ですし、(環境負荷が高いとされる)白熱電球が主流のアメリカ市場において、積極的に(環境負荷がより低いとされる)電球型蛍光灯普及に努めています。ある試算によれば、この方針転換によって年間6,000万個以上もの白熱電球が節約されるとも言われているそうです。

もちろん、このウォールマートの経営方針転換がパタゴニアの影響だけによるものだとは考えていませんが、彼らに何らかの影響を与えたことは事実です。パタゴニアという小さな企業が、大きな湖に一石を投じることで、その波紋が広がり、やがて資本主義のあり方そのものに影響を与えていくというのが、私たちがビジネスを通じて達成したい目的のイメージです。

私たちにとって利益を上げることは、最終的なゴールではありません。しかし、逆説的ですが、波紋を広げるには既存のビジネスのルールの中で、他企業が納得する結果を出すこと、つまり利益を上げることが必要です。「環境に対して出来るだけ正しいことを行うという経営方針では利益は出ない」と思われては、他者に影響を与えることはできないと考えているからです。「環境問題を経営判断の重要な要素の一つにしても、きちんと利益が生まれる」という、小さいながらも堅実なビジネスモデルを示すこと。誤解を恐れずに言えば、これが、私たちがビジネスを続けている理由です。その意味で、通常であれば利益の最大化が唯一の目的であるビジネスという世界に、誠実さや正直さ、環境配慮といった価値を持ち込みながら日々の経営を行うことは、非常に意義深い社会実験だと言えるのかも知れません。


「私が考えるサステナブルな社会」

環境問題の根本的原因の多くは、人間の経済活動にあると言っても過言ではありません。しかし、私自身も含めた地球上の多くの人々にとって、近代的な生き方を完全に手放すことは現実的ではないように思います。だからこそ、社会全体が、「利益の最大化」だけを目的とした経済活動からの脱却を真剣に考えることが急務であると感じます。


「次世代へのメッセージ」

情報過多の社会と言われるようになって久しいですが、近年では、メディアの発展によってますます多くの情報が氾濫するようになりました。そのような中で、自分にとって必要な情報を見極め、価値のある、正しい情報を手に入れることが一段と重要になっているように思います。それには、流行にではなく、自分の信念に、情報の量ではなく、質にこだわることが大切なのではないかと感じます。


受講生の講義レポートから

「就職活動中の身として、企業を見る新たな視点をいただいて、自分の働き方、目的、何を楽しむかを、改めて考えさせられています」

「ビジネスとエコの両立ではなく、エコのためのビジネスという姿勢が素晴らしいと思いました」

「服を買うときは素材に着目するようにしていますが、その素材がどういう過程を経ているかを考えたことはありませんでした。綿製品がいかに多くの環境負荷をかけているかを知って驚きました」

「パタゴニアのビジネスモデルは世界にも影響を与えていくと思います。世界中の企業が環境をベースにした基準で評価されるようになる日も、そう遠くないのではないかと感じました」

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