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いくつもの壁にぶつかりながら―社会起業家として生きる

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第3期・第11回講義録

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村田早耶香氏
NPO法人かものはしプロジェクト共同代表

1981年生まれ。2001年、「第2回 子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」若者代表。大学在学中の2002年、「児童買春という悲劇をなくしたい。世界の子どもたちが笑って暮らせる世界を創りたい」と、仲間と共に「かものはし」を創業。日経ウーマン「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2006」リーダーシップ部門、国際青年会議所「TOYP (TheOutstanding Young Person)」(2007年)などを受賞。

◆講義録

社会的な起業とは、ビジネス的手法を使って社会問題を解決しようとする試みのことだ。今日は、社会的な起業を目指し活動を始めた、私たちの「かものはしプロジェクト」の活動についてお話ししたいと思う。


5人に1人が貧困にあえぐカンボジア

私たちの使命は、すべての子どもや若者が未来への希望を持って生きられる世界を実現するために、児童買春、人身売買を解決することだ。そのために、世界的に児童買春の問題が深刻なカンボジアで活動している。

カンボジアは、タイとベトナムに挟まれた国で、面積は日本の約半分。人口は約1,400万人と、東京23区の人口とほぼ同じで、その9割はクメール人だ。主な産業は、世界遺産のアンコールワットに関係する観光・サービス業で、GDPの41.8%を占める。農業がGDPの34.4%。鉱工業の中では縫製産業が盛んで、GAPやユニクロなどの衣類を輸出している。それがGDPの23.8%を占める。

カンボジアは非常に辛い歴史を持っている国だ。ポル・ポトが政権を握った1975年からの約3年8カ月間、非常に極端な共産主義が進められた。都市部の住民を農村に追い出したり、ポル・ポトに反抗する危険性がある知識人を虐殺したり、当時約900万人だった人口のうち、およそ100万~200万人が殺害されたと言われている。

その影響もあり、いまだに多くの人が貧しさに苦しんでいる。国連が定める1日1ドル以下という貧困ライン以下の生活をしている人が、国民全体の18.7%ほどもいる。徐々に回復しているとは言われるが、貧困ライン以下の生活をしている人の中には、屋根のある家で生活できなかったり、1日1食も食べられないような生活をしている人などもいる。


貧困が招く不幸な現実

児童買春が成り立つのは子どもを買いたい人がいて需要があり、貧困から売られていく子どもたちがいることで供給があるからだが、供給側の背景にあるのが、この圧倒的な貧困だ。貧しい農村部では親が家庭を支えることができず、子どもが都市に出稼ぎに出ることになる。「都会にはメイドや子守の仕事がある」といわれ、親も子どもを手放してしまう。本当に子守の仕事をする場合もあるが、だまされて売春宿に連れて行かれてしまうケースもある。私たちが活動を始めた2003年当時、およそ8,000~1万5,000人の18歳未満の子どもが売春宿で働かされていた。

需要側の背景の一つに、女性を買う価格の安さがある。例えばビール1杯よりも安いことさえある。また、児童性愛者と呼ばれる、子どもだけに性的な欲求を向ける人たちの一部が、実際に子どもを性的に虐待することがある。法律が未整備で汚職や腐敗が非常にひどいカンボジアでは、賄賂を払えば何でもできてしまうため、日本をはじめ、海外から買いに来る人も多い。内戦後、外国人観光客が増えるに伴って、こうした問題も深刻化してきた。

児童買春の被害に遭った子どもは、心身にどんな影響を受けるだろうか。例えば望まない妊娠や、エイズその他の性感染症にかかることがある。婚前交渉が禁止されているという文化的な背景のあるカンボジアでは、たとえ被害者であっても、一生結婚できなかったり、本人だけでなくて家族も差別されたりすることがある。そのため、売春宿から保護されて村に帰っても、深い心の傷が癒えず、自ら命を絶ってしまう女性もいる。


幼い少女たちを守りたい

団体発足の経緯に関連して、私のバックグラウンドを少しお話ししたい。大学に入る前から国際協力を仕事にしたいと思っていたのだが、大学2年生のときに聞いた、タイの児童買春の話に非常に衝撃を受けた。

タイの山岳少数民族の少女、15歳のミーチャは「都会に行けば子守の仕事があって家族を助けられる」と言われて働きに出たのだが、だまされて売春宿に売られ、20代前半でエイズでなくなったという。

「今もこういうことが起きているなら、早く何とかしないと」と思い、問題が起きているタイに行ってみることにした。そこで児童買春の問題を目の当たりにして帰国した私は、自分にできることを探そうと、NGOの講演会を片っ端から聞いて回った。やがて、児童買春に関する世界会議が横浜で開催されることを知り、若者代表として参加する機会を得た。2001年12月、世界中から約100名の子どもと若者の代表者を含む、3,000人近い人が集まり、会議自体は成功して終わったが、そこで気づいたことがある。日本では、問題の大きさの割に取り組んでいる団体が少なく、児童買春という言葉もあまり知られていないのだった。

そこで私は、世界会議が終わった後、ボランティアとして活動していたのだが、そのころ、いま「かものはし」を一緒に運営している二人の仲間に出会った。彼らは「事業でこの問題をなくさないか」と言うのだ。私自身は、まずキャリアを積んで、人脈や資金を集めてから団体を立ち上げようと思っていたのだが、二人に説得される形で、「できるところまでやってみよう」と、大学3年生のときに3人で団体を立ち上げることにした。

活動場所は、低年齢の子どもの被害がどんどん増えているカンボジアに定めた。職業訓練を通して貧困を解決し、児童買春をなくそうという事業モデルが描けたころ、私は4年生になろうとしていた。卒業後もこのプロジェクトを続けていくのか、カンボジアに行ってから覚悟を決めよう、2003年4月に初めて現地を訪れた。

行く前に抱いていた内戦や地雷のイメージと違い、子どもの笑顔がすごく輝いていて、その元気さにとてもびっくりした。ただ、こういった笑顔が奪われている現実も目の当たりにした。

児童買春の被害者を保護している孤児院で、親の借金のかたに売春宿に売られたという、6歳と12歳の女の子と仲良くなった。嫌がると電気ショックを与えられ、泣き叫んでも暴れても、結局虐待されるだけで、逃れられないことを感じて、絶望に涙も出なくなったころに、体を売らされたという。

私が会ったときは、保護されてから半年経っていたので、体の傷は消えていたが、心の傷は治っていなかった。夜中に泣き叫んで眠れないときは、クマや犬のぬいぐるみで気持ちを落ち着けているという。目の前にいる小さい子が置かれている状況を知り「放っておいていいはずがない」と覚悟を決め、今日まで活動を続けることになった。


大人に仕事を、子どもに教育を

現在のカンボジアでの活動の中心は、コミュニティファクトリーと呼ばれる民芸品工房での職業訓練だ。2006年1月に事業をスタートし、2008年5月からは、カンボジア北西部のクチャという村で運営している。

コミュニティファクトリーの目的は、大人に仕事を、子どもに教育を与えることだ。農村の大人に仕事があれば、子どもたちは働きに行かず、学校に通えるようになる。そこで農村に工房を建て、現地の素材を使った民芸品を生産し、アンコールワットなどに来る観光客に向けて販売するというビジネスモデルだ。

村には富裕層もいるが、私たちが受け入れているのは、母子家庭など最貧困層の人たちだ。エイズなど病気の治療代のために土地を売ってしまった親子は、やがてホームレスとなり、国境沿いで子どもを売るというような状況が生まれている。そういった状況の人たちに、私たちのセンターに来てもらって働いてもらっている。

例えば7人きょうだいのチャンパイという19歳の女の子の家は、父親はすでになく、母親も働くことができないため、彼女とお兄さんの収入で家族全員を養っている。チャンパイが働き始めてから、弟2人が学校に行けるようになった。

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メックという20歳の女の子は身寄りがなく、コミュニティファクトリーに来る前は日雇いの仕事をしていた。都会に働きに出るのは危険も多いが、今は、生まれ育った村で一生懸命働いて、誇りを持って仕事をしている。

コミュニティファクトリーの運営資金は、今は日本で集めている寄付金で賄われているが、3年後には黒字化したいと考えている。生産販売をもっとうまく軌道に乗せ、受け入れ人数を100人程度まで増やし、最貧困層を対象にしたビジネスを成り立たせることが目標だ。


必ず解決できることを信じて

コミュニティファクトリー事業以外にも、私たちだけでは支援を届けることができない人たちにも、ほかの団体と連携して支援を広げていきたい。というのも、私たちの事業では、働けることが条件になるため、受け入れられるのは15歳以上に限られている。それより幼い少女の場合、家族を支援できればいいが、まったくの孤児の場合は、孤児院と提携するという方法を考えている。

さらに法整備についても後押ししていきたい。2008年にようやく児童買春を罰する新しい法律ができたのだが、これをもっと進めるためには、政府と連携している団体と一緒に活動していくことが必要だ。

児童買春の問題には、さまざまな要因が絡むため、解決が難しそうに思えるかもしれないが、法整備と貧困解消を進め、需要と供給の両方を減らしていけば、確実になくせるはずだ。2000年以降に児童買春被害が悪化してきたカンボジアでも、法律ができたこともあってか、児童買春の被害者は徐々に減ってきている。数年後にはだいぶ落ち着くのではないかと予想している。そうなったときに備え、カンボジアで培ってきたノウハウを次の国に展開できるよう、準備をしているところだ。1人でも多くの人に問題を知ってもらい、ぜひ自分にできることをやってほしいと思っている。


「私が考えるサステナブルな社会」

多少貧しい農村でも、大人に仕事があれば、子どもたちは学校に通えるようになります。都会に出稼ぎに出る必要もなくなり、子どもを買春の被害から守ることができるのです。生まれ育った村で一生懸命働いて、誇りを持って仕事をする―コミュニティファクトリーの事業を通して、そうした機会を多くの少女たちに与えられたらと思います。


「次世代へのメッセージ」

児童買春の問題には、さまざまな要因が絡み、解決が難しそうに見えるかもしれません。でも、法執行強化と貧困解消を進め、需要と供給の両方を減らしていけば、確実になくせるはずです。1人でも多くの人に問題を知ってもらい、ぜひ自分にできることをやってほしいと思っています。


◆受講生の講義レポートから

「児童買春については以前から聞いてはいましたが、どこか遠い問題という認識でした。この問題がなくならない背景に、需要と供給を生んでいる社会の問題があり、日本からも子供を買う人が多くいることに衝撃を受けました」

「情報にアクセスできない環境に住む人もいる中で、大学で勉強できる環境に身を置く自分は、もっと社会問題を勉強して、学んだことをアウトプットする義務と責任感があるとあるのだと感じました」

「カンボジアの貧困が児童買春を促している状況は想像以上にひどいものでしたが、かものはしのおかげで、子供たちが夢に見たような生活ができていることに感動しました。大人に仕事を、子供に教育を与えるような、社会に役立つビジネスを立ち上げることの重要性を感じることができました」


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