ニュースレター

2012年08月14日

 

「リオ+20」を終えて――市民社会の声を届ける参加のあり方

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JFS ニュースレター No.119 (2012年7月号)

JFS/After Rio+20 -- How to Deliver the Voices of Civil Society to Decision-makers?

ブラジル・リオデジャネイロで6月20~22日に開催されていた「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」は、成果文書「私たちの望む未来」を採択して閉幕しました。世界191カ国・地域から総勢4万5000人以上が参加し、規模では20年前の地球サミットをしのぐ会議となりました。

今号では、5月にお送りした「『リオ+20』に向けた日本の市民セクターの取り組み」に続き、市民・NGOからの視点で、「リオ+20」で何が語られ、何が語られなかったか、市民社会の参加のあり方について、今後の課題を探ります。


市民社会の声は伝わったのか?

日本の市民社会ではいま、2011年3月の東電・福島第一原発の事故に端を発した原子力やエネルギー問題に大きな関心が寄せられています。エネルギー問題にも注目が集まるこのサミットは、いまもなお厳しい状況に直面している日本が、3・11以降の経験を伝え、持続可能なエネルギーの必要性をアピールする絶好の機会だったはずです。しかし、日本政府の代表として本会合に出席した玄葉外務大臣の演説には、東日本大震災に際して世界から多くの支援と励ましが寄せられたことに対する感謝こそあれ、原発事故そのものへの言及はひと言もありませんでした。

一方でNGOや市民グループは、さまざまな機会をとらえ、原発問題、そして福島の現状を伝えていました。

サミットでは、本会合やその準備会合・交渉のほか、企業やNGOなどが主催する「サイドイベント」が数多く開かれていました。その1つに、「地域再生や持続可能な開発、そしてグリーン経済に貢献する有機農業:福島の事例から」と題したイベントがあります。福島に暮らす人の言葉をリオに届けようと、日本の複数のNGOが共催したものです。

このイベントに登壇した一人、菅野正寿さんは、20年以上にわたって福島県で有機農業を営み、県内の有機農家と地域のネットワークを広げるため、2009年に「福島県有機農業ネットワーク」を発足。その活動が軌道に乗ってきたときに原発事故が起こりました。豊かな里山も甚大な被害を受けましたが、菅野さんらネットワークのメンバーは、「有機農業による土づくりにこそ復興への希望があるはずだ」と土壌の改善に取り組み、目に見える成果も出てきたといいます。そうした活動を踏まえて、「脱原発に向けて、いま転換しないでいつするのか?」と呼びかけました。

また、本会議場から遠く離れた海沿いの公園で開催された「ピープルズサミット」でも、日本のNGOと地元ブラジルで反核運動に携わるNGOが、核や原子力に関する対話の場をつくっていました。南米では数少ない原発保有国であり、ウラン鉱山開発による環境破壊の問題を抱えるブラジルでは、原発に対する人々の関心も高く、多いときには50~60名の人が足を止め、日本人スピーカーの声に熱心に耳を傾けていました。

JFS/After Rio+20 -- How to Deliver the Voices of Civil Society to Decision-makers?

主にピープルズサミットで活動していた坂田昌子さん(国連生物多様性の10年市民ネットワーク)は、「国や国連に『お願い』するより、私たちが直接つながるほうが早い。欲しい未来は自分たちでつくりたい」と、市民同士の対話に手応えを感じていました。それと同時に、「日本人同士も、もっとコミュニケーションを深めて、大事な問題の有効な伝え方を必死で考えないと」と新たな課題が見えたと言います。


どこまで「参加」できたのか?

「リオ+20」の公式な「成果」である成果文書の中身は、20年前の約束を「確認する」といった表現が多く見られ、革新的な要素がきわめて乏しい結果であったことは、すでにマスコミでも報じられたとおりです。日本の全国紙の見出しにも、「主要問題すべて先送り」「成果乏しく批判相次ぐ」「グリーン経済かけ声倒れ」といった文字が躍っていました。

この文書交渉のプロセスにおけるNGO・市民セクターの参加に大きな役割を果たしてきたのが、5月号でも触れた「リオ+20地球サミットNGO連絡会」です。事前準備の段階に続き、現地でもNGOと政府交渉官およびメディアとの意見交換会を各3回ずつ持ち、情報共有ならびにNGOから政府・メディアへのインプットを行ってきました。

事務局として各セクター間の連携に心を砕いてきた「環境パートナーシップ会議」の北橋みどりさんは、「誰もがゼロドラフトに意見を提出できたのは今回が初めて。準備会合でも、ほぼすべての会合をNGOが傍聴でき、交渉文書が随時共有された。国連プロセスのなかでは最もオープンな会議と言われるだけあって、市民参加を促す努力が感じられた」と、一定の評価をしています。しかし、会合でのNGOからの発言時間がごく限られていたことや、交渉の中身にNGOの視点がどれだけ反映できたのかは疑問だとして、成果文書の1項目めに記された「with thefull participation of civil society」には、海外勢を含め、多くのNGOから不満の声が上がっていたことを指摘しています。

さらに、こうしたプロセスへの参加を認められていたのが9つの「メジャーグループ」として登録されたNGOに限られていた点でも、市民参加のあり方には課題が残ります。「『持続可能な開発のための教育の10年』推進会議」の野口扶美子さんも、交渉プロセスへの参加が難しいと感じていた一人です。「教育」は分野横断的であるためか、メジャーグループとしては数えられていません。そのため、「文書共有の機会が限られ、成果文書案へのインプットをどのタイミングで行うのが効果的か、スケジュール感もつかみにくかった」と振り返ります。

とくに今回の交渉は、「始まる前に終わっていた」と揶揄されるほど、本会合開始時にはホスト国ブラジルによる成果文書案が完成しており、「本会合が始まってから文書を修正する余地はほぼない」(政府交渉官)という状態でした。NGOに属してなくても、インターネットによる意見表明の機会があるなど、一見すると市民に開かれたプロセスだったものの、実質的に意味のある参加の機会になっていたのかは不透明です。


国家を超えた連携を

成果文書の中身で数少ない成果の1つと言われているのが、「持続可能な開発目標(SDGs)」策定プロセス開始に関する合意です。まずは、2012年9月までに30カ国の代表によるワーキンググループを設置することが定められました。

貧困撲滅・持続可能な開発の目標として、すでに定められている「ミレニアム開発目標(MDGs)」の達成期限が2015年に迫っていることから、ポストMDGsと並んでSDGsに関する議論が進められてきたのです。具体的なテーマ設定は見送られたため、両者の枠組みがどうなるかは今後に委ねられました。

日本から参加したNGOの大半は環境NGOですが、これまでMDGsの議論を率いてきたのは、主に国際協力や開発分野のNGOです。ポストMDGsについては、すでに「NGO・外務省定期協議会」などを通じて議論がスタートしており、この流れにSDGsに関する議論を合流できるのかどうか、新たな連携を生み出す必要があるでしょう。

国際協力・開発分野から「リオ+20」に参加した数少ない一人である大橋正明さん(「国際協力NGOセンター」理事長)は、「SDGsとポストMDGsの議論を合わせることで、『1+1=2』以上の相乗成果が出るようにしなければ」と、市民セクターにも新たな対応が求められる点を指摘しています。

20年前のリオサミット、10年前のヨハネスブルグサミットにも参加し、今回は政府代表団NGO顧問を務めた「環境・持続社会」研究センター代表理事の古沢広祐さんは、交渉結果の内容は「大きな後退」だったと落胆の色を隠さないものの、21世紀型の市民参加のあり方を模索した点では一定の成果があったと見ています。

「20年前、政府とNGOはまったく別々に切り離されていたところに、ようやく対話のプロセスが生まれ、今回はメジャーグループが、事前交渉から必要な文書を手に入れ、議論に参加することができたのは大きな進歩。これからは、各国の市民・NGO同士が連携を深め議論をリードしていくような、国家を超えた枠組みが必要ではないか」と希望をつなぎます。

今回のサミットは、日本からの情報発信を通して、世界と日本を持続可能な社会に近づけることをミッションとするJFSにとっても、いかに日本の市民社会の声を伝え、世界とつないでいくか、新たな課題を得る機会となりました。

JFS/After Rio+20 -- How to Deliver the Voices of Civil Society to Decision-makers?


(スタッフライター 小島和子)

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