ニュースレター

2011年08月08日

 

東日本大震災は生態系や生物多様性にどのような影響を与えたのか

Keywords:  ニュースレター 

 

JFS ニュースレター No.107 (2011年7月号)

3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方から関東にかけての広い地域で、人間生活と自然環境に甚大な被害をもたらしました。膨大な数の家屋や建物が崩壊し、2万5千人近くの人命が失われたほか、沿岸部を中心に干潟、藻場、海岸林なども被災しました。同時に、震災で損壊した東京電力福島第一原子力発電所からの放射性物質は、今なお海や土壌、大気中に放出されつづけています。

今回の地震や津波、放射性物質の放出による、産業や人の健康に関わる影響についてはさまざまな検証や研究が進められていますが、農林水産業などを支える生態系や生物多様性への影響についてはほとんど議論されていないという問題意識から、6月28日、日本学術会議統合生物学委員会生態科学分科会などが中心となって、フォーラム「東日本大震災による生態系や生物多様性への影響」が開催されました。

今号ではこのフォーラムでの発表の一部をお伝えし、生態系や生物多様性への被害の実態評価、今後のモニタリングなどについて、研究者らと共に考えていきたいと思います。

冒頭に、東京情報大学の原慶太郎氏が「東日本大震災は生態系や生物多様性にどれだけの影響を及ぼしたのか-衛星画像解析の結果から」と題して、衛星画像を示しながら、被災地区の状況について伝えました。(以下、原氏のプレゼンテーションより)

被災した東北地方は、宮古以北では直線状の海岸、以南ではリアス式海岸があり、それから仙台平野が広がって、石巻以南では砂浜が広がっている地形です。北上川、阿武隈川などの大河川の間に、蒲生干潟や井戸浦、広浦、松川浦などの潟湖が点在し、平野部は水田や畑地などの耕作地や住宅地となっていました。

陸前高田には、震災前にすばらしい松林がありましたが、今では跡形もなく、1本の松だけが残って、復興のシンボルとなっています。衛星画像を見ると、北上川も河口から数十キロ上まで津波によって浸水しており、河口に広がっていた広大なヨシ原も大きな影響を受けたものと思われます。仙台市の若林・宮城野区にあったクロマツの海岸林も壊滅的な被害を受けました。相馬市付近の画像を見ると、松川浦の内陸の農地まで浸水している様子がうかがえ、非常に大きな影響があったことがわかります。

特にこの地域では、干潟や湿原など、非常にセンシティブな生態系が被害に遭っています。七北田川の河口域に発達した蒲生干潟も、震災後は汽水域ではなく、海水が流れ込むようになり、干潟ではなくなってしまったと言われます。もっとも最近の新聞記事によると、仙台で活動しているグループが調査した結果、干潟にかつていた生き物が戻りつつあるとのことです。

塩水をかぶったところでは、塩害の影響も大きく、これから農業を戻すことができるか、稲作を戻すことができるかが大きな課題です。今回の震災は、まれに起きる広範囲・大規模なかく乱でした。1000年前には貞観津波が、その1000年前の弥生時代にも同じような津波があったことが示されていますが、今回の1000年というスケールの大規模かつ広域的なかく乱の影響については、まだ十分にはわかっていません。

影響についてよくわからない背景には、基本的なデータが足りないという問題があります。1976年の自然環境基礎調査で、重要な植物群落の分布が示されたものがあるのですが、現在の自然環境基礎調査の植生図は、ごく限られた地域にしか作られていません。また、GPSで津波や地球の変動などを計測するなど、空間情報技術がいろいろな貢献をしていますが、残念なことに、震災後2カ月間にわたって有益なデータを送り続けてくれたALOS(陸域観測技術衛星「だいち」)が、後継がないまま5月12日に運用停止になり、この後のデータが取れていないことは大きな問題です。

東京大学の樋口広芳氏は、「放射能汚染が鳥類の繁殖、生存、分布に及ぼす影響-チェルノブイリ原発事故25年後の鳥の世界」として、今回の原発事故がどういう影響を及ぼすかを考える上で、大変参考になるチェルノブイリの事例について紹介しました。(以下、樋口氏のプレゼンテーションより)

1986年4月にチェルノブイリ原子力発電所で事故が起きました。事故の起きた4号炉は炉心溶融の後、爆発して放射線降下物がヨーロッパ中心に非常に広い範囲に及び、現在でも原発から半径30キロ以内の地域での居住は禁止されています。原発から北東へ向かって約350キロの範囲内には、ホットスポットといわれる局地的な高濃度汚染地域が、約100個所にわたって点在しており、ホットスポット内では、農業や畜産業は禁止されています。

この爆発によって、推定520万テラベクレルもの放射性物質が大気中に大量に放出されました。福島原発事故では77万テラベクレルと報告されていますが、現在もなお微量とはいえ、放出が続いています。セシウム137、ストロンチウム90、プルトニウム239の半減期は、それぞれ30年、29年、2万4000年であることを考えると、放射性物質の汚染は今後長期にわたって重大な影響を及ぼすことが予想されます。

チェルノブイリ・リサーチ・イニシアティブという研究グループでは、Anders P.Mollerら3人の研究者が中心になってクモ、バッタ、トンボ、ハチ、チョウ、両生類、爬虫類、鳥類、ほ乳類など、さまざまな生物群にわたって生物多様性や生態系への影響を調べています。どのグループでも、放射能の汚染の程度が高くなると個体数が減少するという傾向が表れています。特に顕著な傾向を示しているのが鳥類とほ乳類です。

鳥への影響として、チェルノブイリの高濃度汚染地域で調べられたツバメの例があります。生理的な影響としては、血液や肝臓中のカロチノイド、ビタミンAやEといった抗酸化物質の量が対象照地域に比べて有意に減少しており、雄の精子異常や部分白化個体の増加につながっています。白血球や免疫グロブリンの量の減少、脾臓容積の減少なども認められており、免疫機能の低下を示唆しているといえます。

チェルノブイリの汚染地域と、200キロ以上離れた地域で、ツバメの繁殖成功率や生存率を調査した結果をみると、非繁殖個体はチェルノブイリのほうが明らかに高く、一巣卵数、ひな数、孵化率はチェルノブイリで圧倒的に低いことがわかります。線量との関連をみると、汚染度が高くなるほど非繁殖個体の割合が高く、チェルノブイリのツバメは23%の雌が非繁殖個体でした。非常に異常な事態です。

福島原発事故に関しては今後、広範囲でいろいろな分類群を対象にした汚染度の違いによる影響評価をする必要があります。モニタリングに適した指標生物を選定し、汚染地域と対象地域での生存、繁殖、個体数などの詳細比較をする必要があるでしょう。また、チェルノブイリは内陸ですので海の生態系への影響は明らかになっていませんが、日本ではその影響も調べていく必要があります。

東北大学の中静透氏は、「今後も続く被害の影響を短期的、長期的にどうモニタリングしていくのか」と題して発表しました(以下、中静氏のプレゼンテーションより)。

今回は地震そのものの被害より津波の被害のほうが明らかに大きく、沿岸域が大きな被害を受けました。海岸域は、日本でも最も生物多様性の損失が懸念される生態系の1つです。脆弱というよりは、恐らく人間の影響に弱い場所だといえるでしょう。一方、沿岸域の生態系は、陸上の森林などに比べると、もともと自然のかく乱に常にさらされているので、森林などに比べると相当回復力があることも押さえておく必要があるでしょう。

海の生態系サービスへの影響も大きいです。この地域の産業や生活は、漁業や養殖をはじめとする海の生態系サービスに非常に大きく依存していることが大きな特徴です。防砂林などは、防潮や飛砂防止といった生態系サービスを期待して人間が造った林であり、その地域の人たちは何百年にわたってその生態系サービスをずっと享受してきました。それがなくなったということは、大変なことです。その内側で田んぼや畑を作っている人たちにとって重要なことだと思います。

また、被災地域では今後に備えて高台に家を造る動きが出てきますが、この三陸地方は低地が非常に少ないので、相当広い面積の宅地造成が必要になるでしょう。そのとき、流域レベルで非常に大きな環境の変化が起こってくるでしょう。

モニタリングはいろいろなグループが始めていますが、東北大チームでも、干潟と水田と島嶼を対象としたモニタリングを始めました。いろいろなモニタリングからの情報をきちんと集約して、全体像を示せる体制を早くつくる必要があると思っています。

短期的なモニタリングとしては、まず実態調査をし、その情報を公開していくことが必要です。長期的モニタリングとしては、回復過程を明らかにして、いつどのぐらい戻っていくのかを考えるべきでしょうし、復興に伴う改変の影響もきちんとモニタリングする必要があります。

以上、何人かの発表者のプレゼンテーションからいくつかの大事なポイントをお伝えしました。震災の影響評価や復旧・復興に関して、人間の命や暮らし、産業が優先されるのは当然かと思いますが、同時に、生態系サービスを提供することで私たちの暮らしや産業を支えている生物多様性そのものの影響評価や回復・再生についても、しっかり考えていく必要があることを痛感しました。


(枝廣淳子)

English  

 


 

このページの先頭へ