ニュースレター

2011年04月19日

 

すぐそこに来ている未来

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JFS ニュースレター No.100 (2010年12月号)


JFSのニュースレターも今号で100号になります。日本の格言に「千里の道も一歩から」というものがありますが、100号のニュースレターも1号ずつ、記事1本ずつ積み重ねて、ここまで到達した思いです。

100号にあたって、1号から99号までのニュースレターを振り返ってみました。そのときどきのニュースレターの記事を通して、8年あまりの短い間に、日本でも環境に対する取り組みが質・量ともに成長しながら、大きなうねりになってきたことを感じます。

いくつか、私が振り返って感じる大きなうねりとは......

  • 生産技術中心の時代から、制度やしくみなどの社会技術へ
  • 国または個人の取り組みから、自治体やNGOを中核とする地域の取り組みへ
  • 一企業や一自治体の取り組みから、多様なステークホルダーのコラボレーションや共創へ
  • 単なる「消費する者」としての位置づけから、価値観とライフスタイルを通して大きな影響を与えられる「生活者」へ
  • 「社会の一部の人」の取り組みから、幅広い年齢層・職業・分野の人たちによるそれぞれの取り組みへ

そして、そういう変化の中で、これまで「これは当然こういうもの」というさまざまなメンタルモデルがゆるめられ、「これまでどおりでなくてもよいかもしれない」という新しい地面から、さまざまな新しい技術や取り組み、あり方の芽が出てきているなあ、と思います。

100号にあたって、私の描く「すぐそこに来ている未来」の1つのイメージをお届けします。ぜひみなさんもそれぞれ、「これまでどおりでなくてもよいかもしれない」時代に、新しい未来の姿を描いてみて下さいね。それはとっても楽しいことですし、描けば叶う力が強くなる!と思うのです。


今は20××年。

昔は大きな火力や原子力発電所でまとめて電気をつくって、送電線を延々とたどって(あちこちで電気を失いながら)、ユーザーの所まで運んでいたんだって。そんな時代は、今となっては昔話。安定した電力を大量に必要とする産業用は今でも大規模発電所に頼っているけど、私たち一般市民の生活に必要な電気は「自分で起こす」ことが当然になっているもの。

電気って、簡単につくることができる。メタボ対策の人たちが一生懸命自転車をこいでいるジム。かつてはあの自転車をただこいで、その運動エネルギーを捨ててしまっていたらしいけど、今は小さな「集電ケース」をジムの自転車に接続。それから、よいしょよいしょと自転車をこげば、その運転エネルギーが電気に変わって集電ケースに溜まっていくというわけ。夜道を走るとき、自転車に電灯をつけるでしょ? あれは車輪の摩擦エネルギーを電気に変えているの。自転車で電気を起こすことは昔からやっていたし、カンタンなんだよ。

外を走っている自転車だって、今は誰だってみんな、ハンドルの隣にちっちゃな集電ケースを接続して走っている。そうすれば、自転車で走る分、「自動車を使わずにすみ、その分の二酸化炭素のクレジットがもらえる」し、「自分で発電した電気を後で使える」し、「運動にもなる」のだから、一石三鳥!

電気をつくるのは自転車だけじゃない。たとえば、太陽光発電。今では太陽光パネルの小型化が進んでいるので、一戸建の屋根だけじゃなくて、マンションのベランダにもあちこちについている。折りたたみ式のパネルもあって、天気のよい日に外で昼寝をしたりスポーツをしている間に、そのへんに広げておくだけで発電できる。夕方には集電ケースに電気がいっぱい、ってわけ。

そうそう、風力発電も二極化が進んでいて、大量の電力を発電するための大きな風力タービンのほかにも、風車(かざぐるま)みたいな小さな風車を頭の上に立てて歩いている人もいっぱいいる。そう、髪飾りみたいにね。帽子にもふつう、そのための差し込み口がついているんだよ。そんな微風でも発電できる、つまり歩くスピードだけでも十分発電できる風車にもしっかりと集電ケースがつながっていて、こまめに電気をためている。

こうして、いろいろな形で電気をためては、自分が使いたい電気製品に集電ケースを差し込んで、その電気を使うんだ。

私は自転車通勤をしているから、自分のPCで使う電気はほとんど自転車で発電したもので間に合う。自転車に乗れない日などは、先週ためておいた自分の電気を使えばいい。

そうそう、営業部のワタナベさんは、何と2時間半かけて自転車通勤しているから、彼の往復の発電量はすごーく多い。彼は電気が足りない人がいると、いつもニコニコと気持ちよく分けてくれる。だからみんな、ワタナベさんのことが大好き。昔は「お金持ち」がモテたみたいだけど、今人気があるのは「電気持ち」ってわけ。

このようなしくみになってから、子どもたちが1日何時間もテレビゲームで部屋にこもるということもなくなった。だって、テレビゲームをする電気は自分で起こさなくちゃいけないから、1時間テレビゲームをするためには、2時間ぐらい外で走り回る必要がある。子どもたち、こもりきりだったころに比べるととても健康で元気そうだよ。

さあ、この原稿を書いたら、ひとっ走りジョギングをしてこよう。風が気持ちよさそうだな。頭に風力発電機を載せていこう。お天気もいいから、太陽光パネルのついたサンバイザーをかぶっていくかな。集電ケースを忘れずに持ってね。

自分の力や自然の力でこんなにカンタンに電気をつくることができるのに、それで十分毎日の暮らしは回るのに、何で昔は、輸入しなくちゃいけない化石エネルギーに頼った火力発電とか、大規模ダムで人々を苦しめる水力発電とか、安全性の不安を抱えながら、無理やり折り合いをつけなければならないといわれた原子力発電に頼っていたのだろう。

そんな時代があったなんて信じられないなあ!


(枝廣淳子)

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