ニュースレター

2009年12月08日

 

「武家の古都・鎌倉」の街並みを守れ

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地域のルールによって守られてきた古都の景観 ~ 神奈川県鎌倉市

JFS ニュースレター No.84 (2009年8月号)
シリーズ:地方自治体の取り組み 第25回

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イメージ画像:Photo by mrhayata Some Rights Reserved.

首都圏に住む人なら誰もが一度は訪れたことのある、古都鎌倉。東京駅から電車でわずか1時間足らずの場所でありながら、貴重な歴史遺産と豊かな自然環境に恵まれ、四季折々の風情を楽しむことができる、人気の観光地です。また、古都ならではの風格ある街並みや、美しい海辺の景色に憧れて居住する人も多く、「住みたい町ランキング」で常に上位にランクインする、人気の住宅地でもあります。

鬱蒼とした森にひっそりと佇む古刹。江の島と相模湾を見渡せる、高台からの眺望。由比ヶ浜海岸から鶴岡八幡宮まで一直線に伸びる、若宮大路の景色。いつ訪れても、鎌倉の風景はほとんど変わることがなく、人々の心を和ませてくれます。しかし、こうした鎌倉らしい景観は、当然のように存在しているわけではありません。鎌倉は、幾度となく開発の波にさらされ、そのたびに景観破壊の危機を乗り越えてきた歴史があるのです。


御谷騒動と古都保存法

鎌倉は今からおよそ800年前、源頼朝が幕府を開いた地で、その後150年余り、日本の政治・経済・文化の中心地として繁栄しました。三方を山、一方を海に面した独特の地形は、天然の要害として重要な役割を担っていたといいます。鎌倉幕府の衰退後は、静かな農漁村となっていましたが、明治時代に横須賀線が開通すると、海水浴場や別荘地として賑わうようになりました。

昭和30年代から40年代(1955年~1975年)になると、高度経済成長を背景に、神奈川県内は首都圏のベッドタウンとして、急激な都市化が進みます。それは鎌倉も例外ではなく、宅地開発のために次々と山林が切り崩されるようになりました。そうしたなか、東京オリンピックの開催で日本中が湧いていた1964年、古都鎌倉の聖域ともいえる、鶴岡八幡宮の裏山「御谷(おやつ)の森」に、宅地造成計画が持ち上がったのです。

これを知った地元住民は、「鶴岡八幡宮が創り出す歴史的な景観が損なわれる」として、開発反対運動を起こしました。この運動は、「御谷騒動」と呼ばれ、鎌倉に住む文化人らも参加し、全国的な自然保護運動へと拡大していきます。作家の大沸次郎氏は、日本初のナショナル・トラストである「鎌倉風致保存会」の設立に大きく貢献しました。「鎌倉風致保存会」は、全国から集められた募金と鎌倉市の援助金で、御谷の山林1.5haを買い取り、宅地造成計画を中止に追い込みます。この運動がきっかけとなり、1966年に「古都保存法」が成立しました。

古都保存法の制定により、鎌倉市の面積3,950haのうち、695haが歴史的風土保存区域に、そのうち226.5haが歴史的風土特別保存地区に指定されました(現在は拡大され、歴史的風土保存区域は982.2ha、歴史的風土特別保存地区は573.6ha)。この法律は、1938年に指定されていた風致地区制度とともに、鎌倉の景観形成に寄与することになります。


日本の都市計画と開発許可制度

しかし、古都保存法や風致地区制度があるからといって、鎌倉の風景が変わらないわけではありません。ここで、日本の都市計画制度について少し説明しましょう。日本では、高度経済成長期、大都市周辺における無秩序な市街化が社会問題となり、1968年に制定された「都市計画法」により、開発許可制度が導入されました。

これは、無秩序な市街化を防止するとともに、都市施設を計画的に整備することで、良好な宅地水準を確保しようとする制度です。これにより、都市として総合的に開発する必要がある区域(都市計画区域)が定められ、計画的に市街化を促進する地域(市街化区域)と、原則として市街化を抑制する地域(市街化調整区域)とに区分されました。市街化区域では、一定規模以上の開発行為を行う際は、公共施設の設置が義務づけられ、市街化調整区域では、原則として開発が認められません。

市街化区域はさらに、住宅地・商業地・工業地などの用途地域に区分され、各用途地域に応じて、建築物の用途や規模が制限されます。鎌倉市では、1970年に市街化区域と市街化調整区域の指定が行われましたが、当時は開発圧力がまだまだ強く、市街地が拡大することを前提に、多くの緑地が市街化区域に指定されました。したがって、たとえ緑地であっても、市街化区域では、道路や下水道などの整備を条件に、大規模開発が認められました。

なお、古都保存法の歴史的風土特別保存地区での開発行為は、原則として不許可となりますが、歴史的風土保存区域での開発行為は、許可制ではなく届出制であり、特別保存地区ほど厳しく制限されません。鎌倉市の場合、歴史的風土保存区域は、都市計画法の風致地区と重複しているため、市街化区域内の土地であれば、建築物の高さや建ぺい率などが、風致地区の許可基準に適合していれば、開発許可が受けられることになります。

用途地域の制限については、都市計画法と建築基準法に基づく全国一律のルールが、風致地区については、神奈川県風致地区条例に基づくルールがありますが、それぞれの基準を満たした建築行為であれば、許可を受けることができます。言い換えると、日本では、建築行為は最低限の基準を満たしていれば、原則自由であると考えられているのです。しかし鎌倉市では、高層建築物など、鎌倉の景観を損なうおそれのある開発行為に対し、高さを抑えるよう、長年にわたり行政指導を行ってきました。


鎌倉独自のルールを景観法が後押し

鶴岡八幡宮の表参道である鎌倉のメインストリート、若宮大路を歩くと、沿道に高層建築物がなく、空がとても広く感じられます。これは、鎌倉市による行政指導の成果です。本来この地域は、高さ制限がなく、30m以上の建物の建築も可能でしたが、行政指導で15m(5階建程度)以下に抑えられてきました。また、風致地区での高さ制限も、本来は15m以下とされていましたが、行政指導で8m(2階建程度)以下に抑えられてきました。

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イメージ画像:Photo by Ryosuke Yagi Some Rights Reserved.

しかし、行政指導は、あくまでも市からの「お願い」であり、事業者の側から見れば、法律の根拠もなく、財産権の侵害を受けていることになります。このため鎌倉市は、1995年に「鎌倉市都市景観条例」を制定し、市独自の景観づくりに着手するとともに、「鎌倉市まちづくり条例」(1995年)や「鎌倉市開発事業などにおける手続及び基準などに関する条例」(2002年)を制定し、条例に基づく制度を整えていきました。

こうしたなか、2004年に「景観法」が成立し、景観問題への対応に苦慮していた地方自治体に、追い風が吹いてきます。景観法の制定により、地方自治体は、地域の特性に応じた景観ルールを景観計画に定め、建築行為の規制・誘導が図れるようになりました。さらに、これを条例で定めることで、開発許可の基準としても用いることができるようになりました。鎌倉独自のルールが、法律に基づくルールとなったのです。

景観法の施行に伴い、鎌倉市は2005年5月に景観行政団体となり、鎌倉市全域を景観計画区域に指定しました。鎌倉は、歴史的遺産の周辺地域、丘陵地に広がる住宅地域、海沿いの商業地域など、それぞれの地域が特徴的な景観を持っています。このため、景観計画は土地利用に合わせて市域を21の類型に区分し、地域ごとに景観形成の方針と基準を定めました。たとえば、由緒ある昔からの住宅地では、「背景の山並みと調和した景観を維持すること」、「塀や垣根に植栽を行うこと」、など詳細な方針が定められています。

また、若宮大路を中心とした市街地を、より積極的に景観形成を図る地区として景観地区に指定し、15mの高さ制限のほか、建築物のデザインや色についても基準を定めています。鎌倉市役所の正面にある、スターバックスコーヒー鎌倉御成町店は、和風にデザインされた、落ち着いた色調の店舗で、鎌倉の景観にとてもよく調和しています。

鎌倉市 景観計画について
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/keikan/keikaku.html


武家の精神を世界へ

高度経済成長期以降、日本で進められてきた開発優先の政策は、個性豊かだった日本各地の景観をすっかり変えてしまいました。人々が好き勝手にビルやマンションを建てた結果、日本中が雑然として、個性のない街並みとなってしまいました。そんな時代の中でも、鎌倉の景観にこだわり、地域のルールを守り続けてきた、鎌倉の市民と行政の努力は、相当なものであったにちがいありません。

鎌倉市では現在、「武家の古都・鎌倉」として世界遺産への登録を目指し、準備が進められています。鎌倉の町に脈々と受け継がれてきた、武家の精神。それこそが、毅然とした鎌倉の街並みを作り出しているのかもしれません。世界中から鎌倉を訪れる人々も、この町に伝わる精神と文化に、深い感銘を受けることでしょう。

(スタッフライター 角田一恵)

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