2007年06月01日
Keywords: ニュースレター
JFS ニュースレター No.57 (2007年5月号)
シリーズ:地方自治体の取り組み 第16回
第二次世界大戦後の1950年代から1960年代、急速な経済発展を遂げた日本では、工場からの排水やばい煙などによる深刻な公害が、各地で発生するようになりました。四大公害病と呼ばれる、イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくも、この頃に発生した病気です。当時、国や自治体が十分な対策を行っていれば、これらの公害病の被害拡大を防ぐことができたといわれています。
同じ時代、事業者に情報公開や自主的取り組みを促し、公害被害を未然に食い止めることに成功していた自治体があります。「宇部方式」といわれる独自の公害対策に取り組んだ山口県宇部市は、現在まで公害病認定患者が一人も出ず、公害対策先進都市として、国際的に評価されています。宇部市が歩んできた公害対策の歴史を振り返るとともに、「宇部方式」という独特の環境政策の手法について、紹介したいと思います。
宇部市は、本州西端の山口県の南西部に位置し、人口は17万9千人、面積は287平方キロメートル。気候は温暖で、雨の少ない典型的な瀬戸内海気候です。豊富な石炭資源に恵まれ、明治期以降の石炭産業の振興を通じて発展しました。昭和に入ると、炭鉱を中心にセメント事業や、化学事業などが次々と興され、戦災により市街地の大半が焼失したものの、戦後の石炭景気に支えられて、順調な復興を遂げました。やがて、エネルギー資源の主役が石炭から石油へと移行すると、多くの炭鉱が閉山を余儀なくされましたが、宇部市は、化学工業を中心とする近代工業都市へと見事な転換を果たしました。
しかしながら、石炭産業の発展において、ばいじん汚染は宿命であり、宇部市も例外ではありませんでした。産業の発展とともに、企業の石炭使用量が増加し、ばいじん汚染が大きな問題となりました。宇部炭はカロリーが低いために、そのまま燃焼させることが難しく、微粉にして空気と一緒に焼却炉へ吹き込み、燃焼させていました。これにより、市街地に大量の降灰をもたらし、洗濯物が汚れ、窓も開けられない状態が続いていたのです。
このため、1949年に、市議会内に「宇部市降ばい対策委員会」が設置されました。「宇部市降ばい対策委員会」は、各工場で消費する石炭の品質、数量、ボイラーの種類、集じん装置の有無などの発生源の実態調査とともに、市内10ヵ所で降下ばいじん量の測定を開始しました。同時に、大気汚染と健康被害の統計的な疫学調査も行いました。このような組織的、系統的な大気汚染調査は、日本初の試みだったといいます。降下ばいじん量の測定結果や疫学的な調査データは、地方紙に毎月発表され、ばいじん汚染の実態が市民に知らされるようになりました。
1951年には、「宇部市降ばい対策委員会」の任期切れに伴い、新たに条例によって、「宇部市ばいじん対策委員会」が設置されました。この条例は、大気汚染の規制基準や罰則を設けず、委員会は市長を委員長として、企業代表4人、行政4人、学者2人、市議会代表4人から組織され、科学的調査データを基にした、話し合いによる発生源対策を第一主義に掲げました。情報公開を基本とし、地域の「産・官・学・民」の四者が相互信頼、連帯の精神に根ざし、一体となって、自分たちの住んでいる地域社会の健康は自分たちで守るという、「宇部方式」の基礎がここに出来上がったのです。
しかし、経済発展を最優先させなければならない企業側と委員会とは、当然に意見が対立しました。こうしたなか、宇部興産の副社長であった中安閑一氏が、「スモッグの街」から緑豊かな街へ生まれ変わったアメリカのピッツバーグ市を視察し、市と企業の発展のためには、ばいじん対策の実施が欠かせないことを「宇部市ばいじん対策委員会」に提言しました。これをきっかけに、委員会では、ばいじん濃度の目標値が設定され、市内の事業者は、積極的にばいじん対策を進めるようになります。
各工場は、目標値を達成すべく、多額の費用を投じて集じん装置の改良や新設を行いました。こうした努力が実り、1951年にはひと月1平方キロメートルあたり55.9トンあった降下ばいじん量が、1961年にはひと月1平方キロメートルあたり16.0トンとなり、10年間で約3分の1に激減しました。1965年には、一度は失われた青空を取り戻し、ばいじん追放に成功し国民安全に寄与したとして、内閣総理大臣賞を受賞しました。
「宇部方式」において、最も注目すべきは、公害被害が拡大する前に、加害者となる企業が話し合いの席に着き、自主的に公害対策を行ったという点です。現在では、公害対策においては、行政が事業者に排出基準の遵守を求め、その遵守を強制するという垂直的な規制が一般的です。しかしながら、当時は高度経済成長期であり、規制により事業者に大きな経済的影響を与えることが懸念された時代でした。そこで、「宇部方式」においては、行政が基準や罰則を設けて、事業者と垂直的な関係になるのではなく、「産・官・学・民」の話し合いの場を設け、相互が水平的な関係で、適切な情報公開を行うことによって、現実的な公害防止対策を講じたのです。
このような「宇部方式」の精神は、ばいじん対策にとどまらず、水質汚濁や騒音・振動などの都市生活型公害対策、廃棄物や地球温暖化といった地球環境保全対策へと引き継がれていきます。特に、複雑な要因から生じている地球温暖化問題を解決する手法として、情報公開と、「市民、企業、学識者、行政」の役割分担によるパートナーシップを核とした、「宇部方式」は世界中から注目されています。
1997年には、「宇部方式」による環境対策への取り組みが評価され、国連環境計画(UNEP)から「グローバル500賞」を受賞しました。同年、宇部市で開催された「山口・宇部 国際シンポジウム」では、地球温暖化対策に向けて、国境を越えた協力体制を構築するにあたり、「宇部方式」の精神が有効な先駆事例になるとした「宇部アピール」を広く世界へと発信しました。
「グローバル500賞」の受賞をきっかけに、宇部市は国際環境協力を積極的に推進し、1998年には宇部環境国際協力協会(宇部IECA)を設立しました。宇部IECAや国際協力機構(JICA)などと連携しながら、これまでに中国や韓国を始めとする、世界39ヵ国から延べ218人の研修員を受け入れ、環境保全技術や環境政策の手法を伝えています。
2002年には、温室効果ガスの削減に地域から取り組むことを目的とした市民団体、「宇部市温暖化対策ネットワーク(UNCCA)」が新たに設立されました。現在の会員数は、133団体、約29,000人。ここでも、「宇部方式」の精神に基づき、「産・官・学・民」のパートナーシップにより、公共交通の利用促進や、マイバッグの普及活動など温室効果ガス削減に向けた普及啓発活動に取り組んでいます。 宇部市地球温暖化対策ネットワーク
http://ubeondanka.net/index.html
公害問題が各地で発生していた時代、「宇部方式」の精神で、関係者すべてが率直に話し合い、知恵を出し合っていれば、被害拡大を防止することができたかもしれません。地球環境の異変を誰もが感じ始めている今、それを見過ごせば、取り返しのつかない事態をもたらすことは確かです。ましてや、地球温暖化は、公害のように、個々の排出源を取り締まれば解決するという問題ではありません。今こそ、「宇部方式」の精神に基づき、現実から目をそらさずに、持続可能な社会の実現に向け、すべての人が知恵を出し合い、自発的な行動をおこす必要があるでしょう。
(スタッフライター 角田一恵)