2006年08月01日
Keywords: ニュースレター
JFS ニュースレター No.47 (2006年7月号)
シリーズ:地方自治体の取り組み 第13回
環境教育という言葉が日本に紹介されたのは1971年、アメリカで「環境教育法」が制定された翌年のことだといわれています。当時の日本では、高度経済成長の負の遺産として顕在化した公害問題や自然破壊への対策がようやく制度化されたところで、水俣市や四日市市などの激甚な産業公害発生地域を題材に、小・中学校の社会科の指導書に公害教育が取り入れられました。80年代になると、フィールドでの自然観察や体験などによって、自然保護の担い手を育成する自然保護教育が活発になってきます。
このように、公害教育と自然保護教育から始まった日本の環境教育が、本格的に日本社会に広がりを見せ始めたのは90年以降、気候変動などの地球環境や廃棄物問題、身近な自然の減少など、深刻化、複雑・多様化した環境問題への関心の高まりからです。93年に制定された環境基本法では、法律の中にはじめて「環境教育」という言葉が登場し、翌94年の国の環境基本計画で、環境教育は「参加」を促すための重要な施策と位置付けられ、その意味・理念が整理されました。
環境教育を担うのは学校に限りません。行政、事業者、民間団体、メディア、住民などさまざまな主体が、パートナーシップを結び総合的に進めていくことが大切です。このような「みんなの力」で環境先進都市となることを目指して、つながりを重視した環境教育を推進している自治体が、静岡県三島市です。
三島市は、富士箱根伊豆国立公園の玄関口に位置する、面積62km2、人口約11万4,000人の都市です。富士山の噴火による溶岩流の間を融雪や雨水が伏流水として流れ、市内の随所に豊かな河川や湧水池をつくっていることから、古くから「水の都・三島」と呼ばれてきました。隣接する清水町では、1日約100万トンの湧水を生む清流、柿田川が狩野川に注いでいます。
1960年代初頭、国と静岡県は三島市および隣接する沼津市、清水町一帯の重化学工業化を図り、豊かな水資源を利用して、石油化学コンビナート工場の建設計画を推進しました。当時は三重県四日市市など、臨海工業都市に建設された石油コンビナートや火力発電所が激甚な大気汚染や健康被害を広げていたこともあり、この計画に対し3つの自治体の住民たちは大規模な反対闘争を繰り広げました。
推進派の政府調査団は、莫大な予算を使用して、建設を前提とした事前調査を実施しました。これに対し、反対派の住民は、高校生が各家庭の鯉のぼりの泳ぐ向きによって空気の流線図を作成したり、住民が花火大会の黒煙がどのように流れていくかを調査することなどにより、大気汚染や健康被害の可能性を予測し、医師や専門家を交えた学習会、講習会の開催を通じて情報を共有していきました。そして約1年後、石油化学コンビナート建設は撤回されました。
一方で、豊かな水を誇る三島市は、水脈の上流部での大規模工場の揚水によって、農業用水や飲料水が不足する事態に見舞われていました。年中枯れることがなかった湧水池や河川から、豊かで清らかな水が消えようとしており、それに伴い、住民の水を慈しむ心も次第に薄くなっていきました。家庭用雑排水のたれ流しやゴミの不法投棄が平然と行われるようになったのです。
1992年、このような事態に危機感を抱いた市内8つの市民団体が、英国のグラウンドワークの手法を取り入れた水辺環境再生に取組み始めました。グラウンドワークとは、市民・行政・企業の三者がパートナーシップを組んで地域の環境改善活動に取り組むもので、英国では「トラスト」という専門組織が三者の仲介・調整役として問題解決に知恵を出し合っています。
1999年10月にNPO法人となったグラウンドワーク三島には、現在では20の市民団体がかかわり、行政や企業とともに河川や湧水池の再生、ホタルの里づくりなど、「水の都」の再生活動を展開しています。
http://www.gwmishima.jp/
1998年12月、市長の交代にともない、市民の高い環境意識のもとで取り組まれてきた同市の環境政策は、より戦略的な環境政策へと転換されることとなりました。
環境政策を大局的、長期的展望から進めるべく、目的と具体的な手段が明確化されたのです。その第一歩が、2000年7月の行政のISO14001認証取得、同年11月の環境基本条例の制定、そして2002年3月の三島市環境基本計画の策定です。
三島市の環境マネジメントシステム(EMS)の範囲は、2003年7月の1回目の更新までに、市内の幼稚園、保育園、小・中学校を含むすべての公共施設(72施設)に広がりました。さらに、EMSの仕組みを三島市独自に簡素化、制度化し、小・中学校、家庭、事業所に普及、拡大を図る三島市環境ISO認定事業も進んでいます。
同市では、「自然に親しみ、環境を大切にする心を養うことが地球を愛する心を育む」という考えのもとで、幼児から高齢者にいたるまで、世代に応じて段階的にユニークな環境教育が推進されています。たとえば幼児へは、各保育園、幼稚園の保育士や教諭で結成された幼児環境教育推進プロジェクトチームが、環境カルタなどの手づくりプログラムで、子どもたちの環境への芽生えを促進します。
また、小・中学生になると、体験学習などで、自分で考えて行動する意欲を促進するようなプログラムが提供されます。「小学生環境探偵団」では、市内14の小学校の4年生から6年生の中から各校3人、合計42人の希望者が、湧水河川のゴミ拾いや原生林の探検、自然エネルギーの見学などの体験をしています。
中学生になると、市内7つの学校から2名ずつ、合計14名の「中学生環境リーダー」が、夏休み期間を利用し、環境先進都市である熊本県水俣市と世界遺産に登録された鹿児島県屋久島を訪問します。現地での意見交換や体験学習を通じて、環境を守ることの大切さを学ぶのです。
さらに、高校生以上の人たちには、「自発的な実践」が期待されています。そのために2001年度に開設したのが、「市民環境大学」という市長を学長とした学びの場です。環境ボランティアの育成とその普及に先導的役割を担う「エコリーダー」の養成を目的に、市内の大学と連携して、1年間に8回の講座を開講しています。
修了の要件は7割以上の出席と卒業レポートの提出ですが、8割以上の出席で、環境ボランティアとして、環境活動の普及、推進に先導的な役割を担うことができる修了者を、エコリーダーに認定しています。これまでにおよそ360人がこの講座で学び、168人のエコリーダーが誕生しました。修了者は引き続き、地域環境情報誌「エコライフみしま」の編集や森林ボランティアなどで活躍しています。
このような取り組みに加えて、保育園と幼稚園の共同作業、小・中学校の教諭と市職員との連携、学校教育と環境施策の融合というように、職業の境界を越えて学習の場、環境教育のための教材の製作が提供されています。
特に2000年度に出版された小学生のための環境副読本は、2004年の国の制度や小学校の教科書改訂にともない、学校教諭と市職員8名の編集委員の手によって「三島市環境読本 -みんなで守る三島の環境-」に改訂されました。三島市の環境がわかる資料集としてだけでなく、それぞれの教科の授業に対応できるよう工夫されており、毎年、新4年生約1,000人に配布しています。
同市のこれら独自性と先見性のある環境政策の取り組みは、2005年度の第14回地球環境大賞の「優秀環境自治体賞」をはじめ、さまざまな顕彰を受けました。
日本の環境教育は、個人やNGOなどの民間団体が独自に取り組んできたケースが多く、三島市のように地域全体で、段階的、体系的に整備されている例はまだ多いとはいえません。富士山に降る雪や雨が、時間をかけて地下で目に見えない流れをつくり、湧水となって現れるように、三島市の環境教育の試みが見えない大きなうねりをつくり、世界のそこここでコンコンと湧き出す知恵となって現れる日に期待したいと思います。
三島市環境企画課
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/kankyou/
(スタッフライター 八木和美)