ニュースレター

2005年11月01日

 

経済成長至上主義からの脱却 - 日本の社会と企業の取り組み

Keywords:  ニュースレター 

 

JFS ニュースレター No.38 (2005年10月号)

いま日本では、数年前からブームとなってきた「スローライフ」に加えて、健康や持続可能性を重視するライフスタイルである「LOHAS」が、書店や雑誌の特集、ウェブサイト、新聞広告にまで流行の兆しをみせています。大きな本屋さんでは、「スローライフ」や「スローフード」の本を集めたコーナーがあり、日本の航空会社の機内では「スローミュージック」のチャンネルが楽しめます。これは日本の社会にとって、どういう意義をもたらす可能性があるのでしょうか? 

「スロー」への希求は、「成長」を前提とした日本社会を変革する上での大きなポイントになるかもしれないと思っています。そして、いまでは企業にも、「行け行けドンドン」の経済成長至上主義から脱却しようという試みが出てきているのです。愉しい世の中になってきたなあ! と思います。

さて、本題に入る前にまず、文脈の説明をしておきましょう。そもそも「スロー」な人々が、より「スロー」になっても、あまり変わりはないかもしれませんが、毎日のペースがとても速くて几帳面な人々が、リラックスした「スロー」な生活を送るようになるということは、大きな違いにつながる、ということです。

全般的に日本人は時間に対する意識が高く、日本社会は多くの点で「ファースト」な社会だと言えるでしょう。たとえば、電力会社のデータによると、日本での1年間の停電の長さ(顧客1軒あたり)は、2分です。それに対して、アメリカは80分、イギリスは70分、フランスは45分だそうです。

電車の遅れについてのデータもあります。JR東海のデータによると、昨年の日本の新幹線の遅れは、1列車あたり平均0.7分、おととしは0.1分でした。日本では、定刻より1分30秒以上遅れると、「遅れ」と見なされますが、この基準は、ニューヨーク市では5分、ベルリンでは3分だと言われます。

典型的な東京のビジネスパーソンが昼食にかける時間は、5分だそうです(しかも、書類や新聞を見ながら食べている人も多い)。全般的に、日本人はペースの速い国民だといえるでしょう。

しかし、日本社会の構造や気持ちの持ちようが、だんだんとじわじわと変わりつつあるようです。以前、ニュースレター14号(2003年10月)の記事でもご紹介したように、岩手県の「がんばらない宣言」や、熊本県水俣市の「地元学」、静岡県掛川市の「スローライフ宣言」といった動きが、全国のあちこちに出てきているのです。
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/027247.html
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/027248.html

このようなおもしろい実例を聞きました。新しいマンションを建設しようとしたときに、エレベーターの設置をめぐって激しい議論になったそうです。「エレベーターはエネルギーを消費し、二酸化炭素排出量を増やすから、付けるべきではない」と主張する人々に対し、「高齢者も上の階に住むのだからエレベーターは必要だ」と譲らない人々もいました。

さあ、この問題をどうやって解決したのでしょう? 答えは、「スロー・エレベーター」でした。ゆっくりとしか動かないエレベーターを設置することにしたのです。若い人たちは、わざわざエレベーターを待つことはしません。一方、高齢者は、それほど急いでいない場合が多いので、ゆっくりと待ってエレベーターを利用できます。結果的に、スローなエレベーターを使うのは高齢者だけになり、普通のエレベーターを設置した場合に比べ、消費エネルギーもずいぶんと少なくてすんだのです。

現在では、日本社会の広い層が、このようなスローへの変化を歓迎しつつあるように思われます。環境問題や社会問題、教育問題、家族のあり方など、今、私たちが直面しているさまざまな問題を克服するためには、スローダウンすることが必要だ、と多くの人が考えたり、感じるようになってきたようです。

このような変化の背景は何でしょうか。ひとつは、「高度経済成長は結局のところ、幸福や満足感をもたらしてくれなかったのではないか」という思いが広がっていることです。1960年代以降、人々はとにかく一生懸命働けば幸せになれると信じてきました。

しかし、その結果、私たちはいったい何を得たのでしょうか。父親不在による崩壊家庭や、青少年の非行、小学生が友達を、親がわが子を、子供が親を、あるいは欲求不満からまったくの見ず知らずの人の命を奪うという、信じられないような殺人事件などがあとを絶ちません。鬱症状の蔓延や、森林破壊や鳥や魚の絶滅など環境汚染も広がっています。

「何かおかしい」と感じる人々が増えてきています。死にものぐるいで働いてきたにもかかわらず、幸せにならないばかりか、何か大切なものを失ってしまったのではないか......と無意識あるいは意識下で感じています。「ちょっと待てよ」という思いは、スロームーブメントと重なります。

日本社会では長年、年功序列・終身雇用制が続いていました。しかしいまでは雇用の流動性が増しています。お金や名誉より充実感を求めて、大企業ではなくNGOに就職したり、社会起業家として社会貢献ビジネスを立ち上げたりする若者も増えてきています。最近日本でも増えているニート(学業・職業・職業訓練のいずれにも就いていない者)は、幸福や目的、やりがいをもたらさない体制に対して「ちょっと待てよ」と無言の抵抗をしているのかもしれません。


ところで企業はどうなのでしょうか。まだ小さな変化なので気づかれないことが多いのですが、企業の考え方も徐々に変化してきています。多くのビジネスパーソンや中小企業の経営者から「現在の成長を前提とした経済に、どうしたら『スロー』の要素を取り込むことができるのでしょうか?」と質問されることがあります。そのたびに、私たちの社会・経済システムを構造的に変える必要があるという思いを新たにするのです。

実際に、これまでとは異なる価値観を採りいれはじめた中小企業もあります。一つの例として、約20名の社員を擁する「向山塗装(株)」を紹介しましょう。

つい最近社長の座を息子さんに譲った向山邦史相談役は、10年ほど前までは「売上20%増!」と社員にハッパをかける、ごく普通の社長だったそうです。当時はとにかく売り上げを上げろ、新規開拓して、毎年20%ずつ増やすんだ、という経営をしていました。当然社員はいつかず、補充も大変で、自分の思いが違うところへ行ってしまったような気がして、動けなくなってしまったといいます。「自分って何だろう?」「会社って何だろう?」「どうしたらいいのだろう?」とひどく落ち込んだ時期があったそうです。

その落ち込みの淵からはい上がってくるときに、いろいろな人の影響を受け、「自分さえよければ」という資本主義社会に生きているのだけど、自分が住みたいのは「愛」や「平和」「調和」「助け合い」「自給自足」の世界なのだ、と腹に落ちたといいます。以来、いろいろな変革を行ってきました。

今やこの会社は社会的責任に真剣に取り組む会社としてよく知られ、地域でも歓迎されています。かつて非常に高かった社員の離職率も今はゼロです。社長も社員も地域もみんながハッピーなのです。

現在向山さんは、会社の成功を売上や利益ではなく、GCH(Gross Company Happiness)つまり社員全体の幸福度によって測ろうとしています。ブータンのGNH(Gross National Happiness, 国民総幸福量)にヒントを得てGCHを導入することにしたそうです。

過去8年間、向山さんは売上目標をマイナス成長、たとえば「前年比92%」と設定してきました。販売拡大は目標とせず、顧客へのサービスを徹底するほうが社員の幸せにはよいという考えです。向山さんの名刺には「社長」ではなく「ご用聞き」という肩書きが印刷されていたことからも、その強い姿勢がうかがえます。

さらに、世界中で起こっているいろいろな環境破壊や農業が直面している土壌問題を見てきた向山さんは、「自給自足会社」を提唱しています。3年前から会社の近くに200坪の畑を借り、社員は出勤前や昼休み、帰りがけに、野菜を作ったりしているそうです。「いまの週休2日を週休3日にすれば、半農半仕事ができる」と、ワークシェアリングをしながら自給自足のできる会社にしようと社員に提案しています。

このように、会社設立の本来の目的である真の幸福を実現するために、事業を拡大しないことを決め、「成長しない方針」を採り入れている会社がほかにもいくつも出てきています。

このような動きが、日本社会の大きな変革につながるのかどうかは、まだわかりません。しかし、環境破壊や地球環境問題を引き起こしてきた「より速く、より多く、より大きく」という成長至上主義に対する大きなポイントとして、日本のスロームーブメントやユニークな企業の取り組みから目が離せないことだけは確かです。


(枝廣淳子)

English  

 


 

このページの先頭へ