ニュースレター

2003年05月01日

 

日本の江戸時代は循環型社会だった(後編)

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JFS ニュースレター No.8 (2003年4月号)

先月号では、石川英輔氏の『江戸時代はリサイクル社会』などを参考に、なぜ250年にわたる自給自足の循環型社会が可能だったのか、江戸時代のリユース、リサイクルの様子をご紹介しました。今月号では、江戸時代のエネルギー事情をご紹介します。(3月号は、こちらで読んでいただけます)
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/027225.html

先月号に書いたように、江戸時代(1603-1867年)の日本の総人口は3,000万人ぐらいで、2世紀半ものあいだ、ほぼ人口が安定していました。日本の首都であった江戸の人口は、約100-125万人で、世界最大の都市でした。

江戸時代の約250年間は鎖国をしていましたから、海外からは何も輸入せず、エネルギーもすべて国内だけでまかなっていたのです。

江戸時代の日本の社会は、太陽エネルギーだけで回っていました。植物は、水と酸素を使って、太陽エネルギーを枝や木、茎や実に変換します。「この1年に伸びた枝や植物や実をエネルギー源として使う」ということは、「この1年の太陽エネルギーを(植物という形で)使う」ということに他なりません。

江戸時代には、前年の太陽エネルギーだけを考えれば約8割、過去3年間で考えれば、生活必需品の95%は、太陽エネルギーでまかなっていました。過去2-3年の太陽エネルギーだけでほぼすべてをまかなえた江戸文化は、持続可能な文化だったのです。

太陽エネルギーを利用して物資を作り、さらにそれをリサイクルさせるための具体的な方法は、徹底した植物の利用でした。衣食住に必要な製品の大部分が植物でできていました。太陽エネルギーでまかなえなかったのは、石、金属、陶磁器などの鉱物でできたものくらいです。

江戸時代の日本は、単なる「農業国」ではなく、あらゆる面で植物と共存し、植物に依存し、しかも植物を利用してすべてを生み出し、すべてを循環させる「植物国家」だった、と石川氏は述べています。

江戸時代の照明について見てみましょう。日本で商業的に発電所からの送電が始まったのは、1887年11月でした。石炭燃料による発電機がはじめて動いたのです。それ以前の夜間照明は、日本の国内でできる油や蝋(ろう)を行灯(あんどん)や蝋燭(ろうそく)の形で燃やすものでした。

照明用の油は主に、ごまやつばきの実、ナタネ、綿の実などから取っていました。クジラの捕れる土地では鯨油を使い、いわしが豊富に獲れる地域ではいわし油を使いました。油を絞ったあとの油粕(あぶらかす)は、良質の窒素肥料となります。

一方、蝋(ろう)は、ハゼやウルシなどの植物の実に含まれる脂肪分を絞り出して作りました。蝋燭は手間のかかる方法で作る高価なものだったので、灯したあとの蝋燭のしずくを買い集めてリサイクルする業者がいたことは、先月号でご紹介したとおりです。

このように、植物などに貯えられた過去1-2年の太陽エネルギーを、人力を使って絞り出し、光として使っていたのでした。

また、日本人の主食である米は、穀物として以外にも、脱穀したあとに残る藁(わら)という重要な資源を生み出していました。稲作の副産物である藁は、米150kgあたり124kg前後とれます。昔は、衣食住の広い分野でさまざまに使われる貴重品でした。

稲作農家では、収穫した藁の20%ぐらいで日用品を作り、50%を堆肥にし、30%を燃料その他に使いました。燃やしたあとの藁灰も、カリ肥料となりました。つまり、100%利用し、すべてをリサイクルして大地に戻していたのです。

日用品として「衣」では、編笠や雨具である蓑(みの)、藁草履(わらぞうり)など。農家では農閑期に、自家用に作るとともに、売って現金収入源としました。

「食」では、藁で米俵のほか、釜敷き、鍋つかみなどの台所用品を作ったり、納豆を作るときに利用しました。また、牛や馬に食べさせたり、敷き藁として使い、排泄物から堆肥を作りました。

「住」でも、草屋根、畳、むしろ、土壁の材料など、あちこちに藁が使われていました。

藁以外にも、たとえば、衣料品は、絹や木綿、麻など、すべて畑でできるものが原材料でしたし、紙も楮(こうぞ)という木の枝を切って、その皮を紙に漉きました。また、古紙を集めてリサイクルする業者がたくさんいました。

暖をとるための火鉢やこたつに使う木炭、風呂を沸かすための薪などは、何年もかけて育てた森林を切ってつくるのではなく、次々に生えてくる雑木を利用していましたから、過去1-2年の太陽エネルギーが育てた範囲で収まっていました。

石川氏は、興味深い試算をしています。現在、日本の山林に生えている木を人口で割って見ると、一人当たり50トンになります。木の成長率は平均すれば年約5%ですから、それで計算すると毎年2.5トンの配当がつくことになります。この2.5トンの薪を燃やすと、約1000万キロカロリーです。

現在の日本人は、年に4000万キロカロリーを使っていますから、薪をエネルギーに使えばその4分の1をまかなえることになります。江戸時代の人口は現在の約4分の1だったので、現在の一人あたりのエネルギー消費量で計算しても、総エネルギーを薪でまかなえます。

ほとんどの動力源が人力だった江戸の人々は、現代人の何百分の一しかエネルギーを使っていなかったでしょう。また、江戸時代の森林面積は、現代よりも広かったので、木の成長量よりもずっと少ない使用量でエネルギーをまかなっていたと考えられます。

          参考:石川英輔著『大江戸リサイクル事情』(講談社文庫)

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