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地域のファスト風土化とサステナビリティ

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第2期・第7回講義録

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三浦展(みうら あつし)
カルチャースタディーズ研究所代表

一橋大学社会学部卒業後、(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集長、三菱総合研究所(90年~)を経て、99年、「カルチャースタディーズ研究所」設立。団塊ジュニア世代、団塊世代などの世代マーケティングを中心に調査。家族、消費、都市問題などを横断する独自の「郊外社会学」を展開し、家族論、青少年論、住居学など各方面から注目されている。著書に『下流社会―新たな階層集団の出現』『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』など。

◆講義録

「ファスト風土」とは、ご想像通り「ファストフード」のもじりで、風土がまるでマクドナルドのように、全国一律に画一的になってしまったのではないか、という問題意識で私がつくった造語だ。

本来は土地それぞれに応じた風土があるはずなのに、巨大なショッピングセンターを中心とする大型商業施設がたくさんできることで、日本全国のファストフードショップで同じハンバーガーを提供しているように、風土が大量生産品化し、工業製品のように均質になっている。それでいいのだろうかという疑問を私は持っており、ファスト風土化への批判をしてきている。

大型ショッピングモールがもたらす生活の均質化

私がファスト風土化と呼ぶ典型的な風景はこういうものだ。道路があって、車が走っていて、パチンコ屋などの商業施設だけではなくて、県庁、市役所、病院、警察といった公共施設も、ロードサイドの郊外に移転している。ある意味、何の変哲もない光景ではないだろうか。ただし、こういう風景は、20年以上前までは、神奈川とか埼玉などの東京近郊にしかなかった。それが今は、日本中で標準的な風景になっている。

そうしたロードサイドには、敷地が何万_もある巨大なショッピングモールがある。中に入ると、非常に明るくてきれいで、365日休まず営業している。特に食品売り場は24時間営業であることも多い。膨大なエネルギーを必要とする、環境負荷の高い施設だ。

以前の日本には、北国から南国まで、海に近いところや山あいなど、多様な自然があった。風土の違いによって、お米が採れるとか、魚がおいしいなど、さまざまな農林漁業が規定される。それによって、お米を使ったお菓子がつくれるとか、山の木材で家具をつくるといった形で、手工業や軽工業が生まれる。つまり、風土に規定された産業が生まれてきた。

産業が生まれれば、菓子職人や家具職人といった職業が生まれる。多様な自然の風土が、多様な産業を生んで、多様な職業、多様な生活文化を育み、その土地固有の文化風土、さらに精神風土が形成されていた。これが本来の風土だろうと思う。

ところが、ファスト風土化が進み、雪国だろうと南国だろうと、同じようなショッピングセンターができている。土地の農林漁業や産業ともまったく関係ないファスト風土が土地の生活を変えてしまう。そして、ふと気づくと、日本中のいろんな地方の生活が均質化してしまった。

ファスト風土化の何が問題か

ファスト風土の問題点を具体的に見てみよう。

まず1つめは、ショッピングモールの例で触れたように、環境・エネルギー的な負荷が非常に高いことだ。たとえば、昔ながらの商店街が残っていれば、小学生が鉛筆を買おうと思ったときに、歩いて近所の文房具屋さんに行けばいい。ところが、商店街は全部シャッター通りとなり文具店は閉店している。地方ではコンビニも郊外にあることが多く、子どもが歩いて買い物に行くことができない。そうすると、家族か誰かが車に乗せて、少し離れたところにあるコンビニショッピングセンターに行くことになる。鉛筆1本、消しゴム1つ買うにも、エネルギーを使ってクルマで出かけなくてはならないことが、いかに環境に負荷をかけているかという問題がある。

2つめに、自然と社会の「四重の破壊」がある。まず、ファスト風土に伴って道路が張り巡らせるには、元々の自然を破壊するだけでなく、そこにあった農村コミュニティをも壊している。次に中心市街地。歴史ある商店街がシャッター通り化することで、都市の人間関係、コミュニティが破壊される。やがて、次々と郊外へ進むファスト風土化が、古いロードサイドを廃虚にし、旧郊外も破壊してしまう。より新しい郊外に商業施設が集まり始めると、旧郊外のショッピングセンターは激しい競争にさらされ、やがて閉店に追い込まれる。すると周りの店も次々に閉店し、地域全体が廃墟と化してしまう。そして最終的には、新たにできた新郊外も、さらに新しい郊外ができるとやがて廃れていき、街が使い捨てにされていくのだ。

ファスト風土化がもたらす問題点の3つ目は、日常生活が経済的に自立していた自足型の暮らしが壊れていくこと、つまり生活基盤が脆弱で、持続的ではなくなるということだ。

数年前、中越地方が地震や大雪に見舞われ、住民が体育館での避難生活を余儀なくされた。私は新潟に30年前まで住んでいたが、その実感から言うと、地震はまだしも、新潟の山奥で大雪が降って、みんなが困っていることがどうにも解せない。

30年前まで、新潟県の人は冬は保存食で暮らしていた。お米とお餅はそのまま保存できるし、ダイコンも白菜も、雪をかぶせておけば腐らない。もちろん漬物や、農家では味噌も自分でつくっていた。だから、恐らく1週間雪に閉じ込められても、冷凍食品など売られていなかった30年前、まず食べ物で困ることはなかったはずだ。

それなのに今は、雪がちょっと降ると生活が持続できなくなっている。都会と同じように、スーパーマーケットやコンビニエンスストアによって、生活が支えられているためだ。

4つ目の問題は雇用の不安定化である。ショッピングモールのような大きな商業施設ができても、そこで働く人の8割はパートやアルバイトなどの非正規雇用だ。そういった大型商業施設ができる前は、地方なりのお店や企業があり、給料はそれほどよくないにしても、正社員として定年まで働けるという人生があった。非正規雇用では所得が伸びず、特に男性の場合は、そのためになかなか結婚できないという問題も出てくる。『下流社会』で述べたような生活格差が生まれてくる。

そして5つ目に、生活空間の閉鎖化が起こる。私の出身小学校では、今は不審者を恐れて下校時は親が迎えに行くことになっている。そうした事情もあって、子どもが1人では外へ出られない。友達と遊ぼうにも、商店街の周りにみんなが住んでいたという時代と違い、郊外化が進むと家と家が離れてしまうため、その機会も少なくなる。子どもが近所のおじさん、おばさん、商店の人とコミュニケーションする機会も減り、子どもの社会化が阻害されているのではないか。こうしたことが、ニートや引きこもりが近年増加したことの背景にあるように思う。

子どもが大人になれる街づくりを

では、こうしたファスト風土化に対抗するにはどうしたらいいのだろうか。住宅地計画の考え方のひとつに、米国発祥の「ニューアーバニズム」がある。その原理は、まず都市が郊外へ拡大するのを抑制し、クルマではなく鉄道主体にすること。次に、居住空間と、商店街や公園などの公共的な空間を切り離さず混在させること。富裕層の戸建て住宅と、安い集合住宅など、多様な階層の居住区域を分けないこと。そして歴史的な町並みを残しながら、歩いて楽しい街づくりをめざすこと。これがニューアーバニズムの基本的な原理だ。

米国としては非常に新しいこうした考え方に基づいて、いくつかの地域で実践が進んでいるが、よく考えると、わざわざ米国に学ぶまでもなく、今の東京にもこうした町並みは残っている。さらに全国各地にも、ファスト風土化する以前は、こうした街の構造、暮らし方がいくらでもあった。それを今、正しく再評価する必要がある。余計な道路や大型ショッピングモールは、もう要らないのではないか。

もう一つ「街育」という考え方を提案したい。ファスト風土化の問題点として、生活空間の閉鎖化が、子どものコミュニケーション力を育てるのを阻害していると述べた。子どもが社会化できるか、つまりちゃんと大人になるためには、住民同士のコミュニケーションがある街が必要だ。コミュニケーション、つまり挨拶を交し合う関係こそがコミュニティをつくり、人が安心して成長していけるのはないかと思う。街の存在理由の一つがそうした子どもの社会化であり、そのためにはファスト風土とは違った街がぜひとも必要だと思う。

◆配布資料(PDFファイル 約141KB)

◆私が考える「サステナブルな社会」

サステナブルな街づくりの実践に「ニューアーバニズム」があるが、そうした考え方は実は東京にもたくさんあります。クルマではなく鉄道を主体にし、居住空間と公共空間を切り離さず、歩いて楽しい街です。さらに、住民同士のコミュニケーションがあることで、ファスト風土とは違う、サステナブルなコミュニティが生まれるのだと思います。

◆次世代へのメッセージ

街づくりというソフトを考える人材、楽しい仕掛けを考える人材が地方には多くありません。宝の山があるのに、地元の人は「何もない」と言う。コーディネーターの役割を担う人がうまく入れれば、地域の活性化につながります。皆さんのように、東京で学んでいる若い人が出かけていって、「この街はいいですね」と笑顔で交流することも、いいきっかけになると思います。

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