ProjectsJFSのプロジェクト

 

不確実な時代を確実な時代へ

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第1期・第10回講義録

kumanosan.jpg Copyright JFS

熊野英介(くまの えいすけ)
アミタ株式会社代表取締役

「持続可能社会の実現」を掲げ、他社に先駆け再資源化事業を開始。2005年、持続可能経済研究所を設立し、2007年には自然放牧「森林ノ牧場」を開設。総合環境ソリューション企業として事業領域を拡大している。総務省連携による財団法人地域総合整備財団地域再生アドバイザーを歴任、現在は、経済産業省審議会臨時委員環境部会産業と環境小委員会委員及び神奈川県京浜臨海部エコ産業創出協議会会長を務める。著書『思考するカンパニー』(幻冬舎)、『自然産業の世紀』(創森社/アミタ持続可能経済研究所共著)。

◆講義録

企業とはどういうものか、若い人たちに一言で説明するのは非常に難しいが、私は、人が価値を認めるものを生み出す存在と定義したいと思う。つまり、社会のニーズ、時代のニーズを形にする社会的機能であると。その価値を具体的に測るのが利益である。いくらいいことをやっても、利益に結びつかなかったらメッセージは伝わらない。大企業でも、時代のニーズを形にできなければ淘汰されるし、逆に、いくら小さな企業でも、時代のニーズを形にできれば、社会に直接的に影響が与えられる。これが企業というものだと思う。

アミタの歴史―ゼロからの出発

企業の価値というのは、不確実な社会から常に評価を受けて存続するものだ。つまり、不確実な社会に経営資源を投入する、事実でなく期待に経営資源を投入することになる。ではアミタは、どのような未来、どのような期待に投資をし、今どのような会社になっているかをお話ししよう。

アミタは、「持続可能な社会の実現を今こそ最優先と考え、新しい関係を生み続け、築き上げること」をミッションに、循環型・持続型システムを提供したいと考えている会社である。それを実現するため、農業、林業、水産業、工業、商業の環境リスク対策を提案している。森林にCO2を固定化するプロジェクトのコーディネートをする「ドゥタンク事業」や、ゼロエミッションを目指した分析コンサルティング、無機物、有機物の再資源化、再エネルギー化といったリサイクル・ソリューション、日本で初めての森林認証事業に加え、2006年11月からは、アジアで初めての水産認証などを手がけている。

このように、環境を守るという価値を商品化している会社だが、私が強調したいのは、条件が整ったからこのような事業展開をしているわけではない。顧客のニーズ、時代のニーズをひたすら追いかけてきた結果、今はこうなったということをお伝えしたいと思う。

最初から環境の仕事をしていたわけではなく、当初はニッケルや銅といったインゴットを売っていた会社だ。創業時、信用ほぼゼロ。資金ほぼゼロどこか、2年目には赤字を出してマイナス。技術ゼロ。人材、たった3人。時間たっぷり。ガレージを実験場に、こういうところからスタートして、顧客のニーズをひたすら追いかけてきた。

やる前からあきらめるやつは、一番つまらん人間だ―これは、最初の南極越冬隊の隊長が言った、私の大好きな言葉だ。創業時、私は23歳で、そんな若者が、たとえば「純度99%のニッケルがありますから、買ってください」と言っても、なかなか売れない。帰れといわれても「何かさせてください。何かお困りございませんか」と食い下がったときにパッと出されたのが泥のような産業廃棄物である。「埋め立て地が高騰して困っている。このコストを何とかしたい」といわれて持ち帰り、早速分析したところ、ニッケル分が15~20%もある。ニューカレドニアから、純度たった2~3%のニッケル鉱石を輸入していたのに、である。

リスクから予防へ

ところが質がよくても当時はそれだけでは売れなかった。「人のごみを原料に使って、製品が売れるわけがない。帰ってくれ」というわけだ。しかし、やがて不況という神風が吹くと、ようやく「ごみ」にも買い手がつくようになり、今で言う「資源リサイクル」ビジネスがスタートした。

その後も数々の困難に見舞われながらも、資源をつくる自社工場を構え、石炭やニッケル原料をつくるという事業に日本で初めて挑戦してきた。資源リサイクルというビジネスをやっていくと、「次は予防がいるよね」と思い至るようになる。リスクがあってからビジネスにするのではなくて、予防がいるだろうと。世の中は、金融ビックバンとか9・11のテロ事件などで「危機管理社会」といわれるようになり、「環境もリスクを管理しなきゃいけない」ということで、リスク対策市場を形にすべく、現在の環境ソリューション業というものを展開するに至った。まだ環境の世界は、何かが起こってからペナルティを払えばいいんだ、起きる前からコストなんかかけられるかという時代だったが、「いや、そんなことはない。環境の世界もリスク対策市場になるだろう」とにらんだのだ。

創業以来の流れを振り返ると、第二次オイルショックがあって、資源リサイクル市場が生まれた。プラザ合意、円高ショックがあって、環境リスク管理市場をつくった。そして金融ビックバン、危機管理、テロ事件等があって、リスク対策市場というものを、時代というものを形にするということを忠実にやってきた会社だと思っている。そして次なる市場は持続可能な社会になるだろう。

社会のニーズとは

まだ社会に出ていない皆さんには実感がわかないかもしれないが、お金を儲けることは実は簡単だ。人の弱みにつけ込んだらすぐに儲かる。儲け続けることはどうか。未来が分かれば、儲け続けることも難しくない。ではどうやって、未来を見つけるのか。実はこれが難しい。ただしヒントはある。どのような未来があるか分かればいいのだが、未来というのは、実はわれわれの心にしかないものだ。われわれの心にないものが未来になったという歴史はない。だから、われわれが自分自身の心を見つけることができるか、そこが大きなポイントになると思う。

ここにAとBという、同じメーカー、同じ量のペットボトルが2つあると仮定しよう。AはBより1割安いとする。皆さんならどちらを選ぶだろうか? たいていは安いAを選ぶだろう。ところが実際には、安売りしている大手スーパーよりも定価販売のコンビニのほうが売れている。今、安ければ売れる時代ではなくなっている。社会のニーズが値段だけにあるわけではないという証拠だ。

コンビニの競争相手はどこだといわれているか分かるだろうか? ケータイである。特に若い人の場合、ケータイにお小遣いをどんどん使ったら、コンビニに行く回数が減ってしまう。次にケータイの競争相手はどこだろう? 安く売っていたデジタルカメラだ。ケータイがデジカメの代用をしているためだ。

このように、今は単純にモノで比較する時代から、見えない価値で比較する時代になっている。コンビニはモノだけでなく、銀行振り込みや宅配便も扱うことで、「便利」というサービスも売っている。「便利」という、触れないもの、見えないもの、そういう価値を売っているわけだ。

見えない価値とは?

「価値とは何か」というところが大きなポイントになると思う。これが創業以来のわれわれのテーマだ。われわれは何を望み、どのような未来を期待しているのか。これまでわれわれ人類は何を望んできたのか。それは単純で、飢餓と貧困を追放したい―この一点につきるだろう。

われわれは現在、毎朝起きたときに、食えなかったら死ぬかな、病気になったら死ぬかなというような飢餓や貧困の恐怖の中に生きているわけではない。有史以来、65億人のうち、先進国の約6億人が初めて人類の夢を達成したわけだ。やっとエデンの園にたどり着いたはずが、先進国ほど自殺とノイローゼが多いのはなぜか。シューマッハは、1972年に書いた『スモール・イズ・ビューティフル』の中で、「ノイローゼや自殺者が前提である社会の中で経済が進むのであれば、その経済は根本的に見直さなければいけない」と言っている。本当にわれわれは幸せなのか。そもそも幸せとは何だろうか?

若いころ、手に入れたい幸せを数えたら、数え切れないほどの欲望があった。女の子にモテたい、おいしいもの食べたい、いい服を着たい、金が欲しい、などなど。ところが、比べようのない不幸とは何だろうと考えると、私の答えは1つだけ。孤独だ。いくら大金持ちでも、孤独な人を見て幸せだと思う人はいないだろう。現在の精神的な飢餓・貧困は、ある意味で孤独の悩みが生みだしているとは言えないだろうか。精神的な飢餓・貧困の解消が時代のニーズなら、それを提供するのが事業家としての本分ではないかと考えている。

膨大なエネルギー、資源、食糧を浪費している先進国のわれわれが、今考えなければいけないことは、物質的な満足では幸せにならないという事実をもって、次の市場をどうすればいいのかということだ。孤独を解決するには、私は関係性の可視化しかないと思う。人と人、人と自然、人と社会の関係性をどう見せていけばいいのだろう?

アミタでは、こうした仮説のもと、日本で初めて農・林・水・工・商の環境リスクの対策の技術と、無機物・有機物の資源化という、ソフトとハードを備えて、総合的な環境プラットフォームをつくり、信頼関係を可視化しようとしている。先々は地上資源を開発する事業、そして自然産業を創出する事業、環境の業務を請け負う事業という3本柱にして、持続可能な社会をつくる関係性のデザイン事業に進化していきたいと考えている。

関係性の修復に向けて―利他的本能

なぜ関係性が壊れてしまったのか。ご批判もあることを承知で、たとえば一例として夫婦の関係を考えてみたい。夫は外の仕事を通じて経済圏にコミットし、主婦となった女性は生活圏にコミットしていく。経済はどんどん変化するが、男性はがんばってその変化についていく。20年経ってふと見ると、女性は何も変化してないように見える。ここで、「もうちょっと努力したらどうや」と、文句を言い出そうものなら、妻のほうは「あなたの代わりに近所と仲良うやってる」と、つまり文化を保全したと反撃するかもしれない。

このように、変化についていくことで存在を認められる経済圏と、地域・文化を守って存在を認められる生活圏とでは、価値観が大きく分かれていく。

夫婦の例だけでなく、近代と伝統、都市と地域、さらには地球規模でも同じような現象が起きている。このように価値観がずれると、互いに理解できず不信の構造が生まれる。その結果、不信だけでなく憎悪が連鎖反応しているような時代に突入していると言える。

もう一度、価値観を一緒にできないだろうか。そのためには、コミュニティの産業化、あるいは産業のコミュニティ化が必要だ。エネルギー、資源、食糧を地域にあるものだけで賄えないだろうか。自然エネルギーによるエネルギーの自立、リサイクルによる資源の自立、食文化を再構築し食の自立を図る。そうしてこそ、コミュニティが自立できる。

生産から消費まで、すべてをバリューチェーンでつなぎ、目に見えない信頼や安心という関係性を取り戻すこと。モノをつくってそれに価値をつける時代から、環境の価値、心地よさの価値という不確実なもののために、モノづくりをどう生かすかという時代になっているのではないだろうか。つまり、モノづくりから価値づくりへの転換である。

今後求められる、情報の「再編集」

不確実を確実にする技術の1つとしては、私は情報を再編集する技術がいるのだろうと思う。情報を知識で再編集し再情報化する。こういう情報生産の技術が必要になるだろう。

たとえば、マヨネーズ会社や大きなケーキ屋さんなどから、100~200トンという膨大な数の卵の殻を何とかしてくれと言われたことがある。「卵の殻、要りませんか?」という情報を持ち歩いても、卵の殻を必要としている人しか手を上げない。資源屋のわれわれは、これを分析したところ、炭酸カルシウムが99.8%という、非常にピュアなものであることが分かった。そこで、「天然よりも質のいい石灰石が毎月200トン出ますが、要りませんか?」と言ったら、石灰石を使っていた会社からワッと手が上がった。

「卵の殻」という情報を「天然石灰石より良質の資源」というように再編集することで、新たな市場が一瞬にして生まれたのだ。目的を持って情報をどう編集できるかという力が大事になってくる。今までの知識を自分の力でどう脱色して、脱色した要素から目的を持って取捨選択して、それを自分の脳みそで再体系化できる、そういう訓練がものすごく重要だ。まず思い込みの世界に対して疑問をどう持つか、今の若い人にその柔軟性があれば未来が拓けるだろう。

◆配布資料(PDFファイル 約2.03MB)

◆私が考える「サステナブルな社会」

サステナブルな社会とは、大量消費の最大幸福という工業モデルではあり得ません。余分なモノを使わなくても精神的な満足を提供できる、新しい価値観を生み出すことが必要です。生産から消費の過程で、目に見えない信頼や安心という関係性を修復するデザインをつくり、信頼性の可視化という事業に取り組んでいきたいと考えています。

◆次世代へのメッセージ

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」という言葉があります。いいことを言っているだけでは世の中が変わりません。当たり前だと思い込んでいる世界に疑問を持ち、既存の情報を「再編集」して新たな市場を瞬時に生み出すような柔軟性を身につけて、これからの未来を拓いていくよう期待しています。

◆受講生の講義レポートから

「『利他的本能の商品化』『信頼関係という価値』というお話が特に印象的です。時代のニーズを見極めながら、リサイクル・ビジネスを展開してこられた熊野さんの情熱が伝わってきました」

「自分が普段考えていることと、熊野さんがおっしゃったことが、混ざり合ったりぶつかったりと、頭の中でいろいろな相互作用が起こりました。利益重視の体質は嫌いなのですが、使い方によっては利益というものは利他的になり得るという視点をいただけたのが有意義でした」

「人間の価値観とは何であり、どう形成されるものなのか考えてみたいです。生きること、普段の生活をどう楽しく過ごすか+αなのかなと思います。そのαが難しいのでしょうけれど」


サステナビリティ・カレッジ 第1期カリキュラム に戻る

English  
 

このページの先頭へ