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最も大切な環境とは?―江戸の暮らしに学ぶ

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第1期・第9回講義録

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石川英輔氏(いしかわ えいすけ)
作家・江戸研究家

京都生まれ。国際基督教大学・東京都立大学理学部中退。SF小説の世界で活躍する一方、次第に江戸学や江戸を舞台にした小説ジャンルに移行し、今や江戸研究の第一人者の一人。著書に、『大江戸神仙伝』から始まる小説のシリーズや、『大江戸えねるぎー事情』をはじめとする大江戸事情シリーズのほか、写真製版に関する専門書・翻訳書もある。

◆講義録

100万都市といわれた江戸の暮らしを学ぶと、今私たちのしていることのどこがまずいのかが非常によくわかる。日本のいわゆるインテリ層には欧米好きが多いと見え、あらゆる点で欧米流のスタイルを取り入れてきた。その結果、日本は今のような社会になっている。私たちの社会が欧米の文化・文明に追随する中で、どのような方向性を目指してきたのか、江戸の暮らしを通して考えてみよう。

10万キロカロリーの化石燃料が支える社会

今の日本の最大の問題はエネルギーの使いすぎである。1人あたり1日に約12.5万キロカロリーものエネルギーを使い、そのうち8割、つまり約10万キロカロリーが石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料で賄われている。10万キロカロリーとは、セ氏0度の水1トンを沸騰させるエネルギー量である。ドラム缶や一般的な浴槽が200リットルなので、そのおよそ5杯分にあたる。あるいは、東京―大阪間(片道)を満席のジェット機で移動した場合の、一人あたりのエネルギー量に相当するともいえる。

消費エネルギー量が今の半分だったのはいつごろだろうか? さぞかし悲惨な生活かと思う人もいるようだがそんなことはない。1970年ごろ、つまり大阪万博のころの消費カロリーは約5万キロカロリーだった。今の半分のエネルギーでもあのくらいの生活はできた。自分の身の回りのことだけを考えると、今の生活とそれほど変わらないようにも思うが、たとえば、当時の自家用車の普及率が30%だったのに対し、今では140%にも達するなど、社会全体でのエネルギー消費は確かに飛躍的に伸びてきた。

「環境にやさしい生活」をめざして、盛んにリサイクルが行われているが、本当の意味でのリサイクルは、今の日本ではもはやできなくなってしまった。たとえばペットボトルをリサイクルするには、膨大なエネルギーが必要だ。何もしなければごみが増えてさらに大変なことになるので、やらないわけにはいかないだろうが、化石燃料がないと循環しないリサイクルなど、本当のリサイクルとは呼べないのではないか。

太陽エネルギーでまかなう江戸のリサイクル

江戸後期、毎年およそ500万トンの米が収穫されていたが、その副産物としてのワラ500万トンとあわせて計1000万トンがいかに無駄なく使われていたかを見てみたい。米は種籾と多少の備蓄分を残して食べ、排泄されるが、まずはこの後が今とは大きく違うところだ。洗浄器つきの便座を使えば、今は出した跡を見ないことさえ可能だが、昔は排泄物を腐熟させて下肥と呼ばれる堆肥をつくり、非常に貴重な肥料として商品になっていた。

こうして下肥が一切川に流されることがなかったため、当時の川は驚くほどきれいだった。汚さなければ汚れないのは当たり前のことである。特に大坂は、「難波の八百八橋」といわれるほど川が多く水の豊富な都市だったが、当時の40~50万人の人口は川の水を上水として利用していたほどである。

ワラの半分は厩肥として消え、3割程度は灰にして活用された。水に溶かせばアルカリ性になり、物を洗うのに便利なほか、大根を作るのに必要な根肥として使われるなど、多くの利用法があり重宝されていた。町には「灰買い」という商売があり、灰問屋に集まったものがまとめて農村に売られていた。ワラの残り約2割は、草鞋などのワラ製品として使われ、使い古した後は燃やして灰になる。灰買い屋に売るほど量がたまらない独り者なら、銭湯にでも持っていけば喜んで引き取ってもらえた。

このように、1000万トンの米とワラは、きれいにすべて無駄なく活用され、まったくごみがでない。これが本来のリサイクルである。元手となるのは人間の労働力だが、それを支えるのは前年に取れた穀物である。穀物が育つのは太陽エネルギーのおかげだ。つまり、余分なエネルギーは一切使わずに、太陽エネルギーだけですべての資源が循環していたわけだ。

0キロカロリーでも衣食住は十分

江戸は飢饉と飢餓でひどい時代だったという歴史学者がいるが、それは誤解である。そんな時代なら270年も続くはずがないだろう。衣食足りる日常についての記録より、いちいち書き残す人はめったにいないが、飢饉、飢餓など深刻な事態の記録が多く残っているのは当然である。生活の基本にリサイクルがあったため、江戸時代は衣食住どれをとっても0エネルギーでまかなうことができていた。

翻って現在の生活を見ると、実に多くのモノであふれているが、余分に持ったところで使いこなせていないのではないか。結局モノがたくさんあれば豊かに暮らせるわけではない。「0キロカロリーの生活なんて気の毒だ」など、余計なお世話であって、今の私たちの暮らしこそ真剣に見直すべきだと思う。

特に食に関しては、いわゆる欧米型の食事を大量に摂取するようになってから、都市に住む多くの人が花粉症に悩まされ、子どもまでもが生活習慣病を患う始末だ。2005年、東京近郊のある市で小中学生ほぼ全員を調査したところ、10%がすでに生活習慣病にかかっており、予備軍が20%に上ったという。また別の検査では、小学生の17%、中学生の38%が花粉症を患っているという。

どうしてこんなことになっているのだろか? 理由はいわゆる「いい生活」、つまり、高脂肪、高たんぱく、高カロリーの食事を食べたいだけ食べ、運動をあまりしないで夜更かしをするという生活を続けているためである。それに比べれば江戸時代は実に「理想的」であった。車などないからどこまでもよく歩いたし、行灯は60ワットの電球の100分の1程度の明るさしかないため、夜更かししようにも暗くて何もできないので、自ずと早寝早起きとなる。本来、人間の体は日が暮れたら眠るような設計図になっているのだ。

さまざまな人類の中で唯一生き残ったホモ・サピエンス・サピエンスの体は、およそ3万年前から大きな進化を遂げていない。3万年前の設計図でできた私たちの体にとって、今の生活は非常に不自然である。その不自然さを維持するために、毎日10万キロカロリーのエネルギーを消費しているといってもいいだろう。

「地球にやさしく」より自分の健康を

先ほどの下肥の仕組みは江戸時代だけのものではない。私は東京の中野で育ってきたが、昭和25年ごろまで、大きな農家だった近所の地主さんが下肥用に汲み取りに来たものだった。その代わり、夏には家族の人数分のトマトを分けてくれるというような習慣が残っていた。

今と比べれば衛生的でない面もあるだろうが、こうした「不潔な」生活は健康に悪いどころか、むしろ逆ではないだろうか。私は1933年の生まれだが、高校の同期会などに行っても、花粉症に悩まされている人などほとんどいない。「汚い」環境に育った世代のほうがむしろ丈夫である。子供のころに、たいていの病気に免疫ができているのだろう。清潔すぎる環境は人間に向いていないのではないかとさえ思う。

かつての理にかなった生活様式を、「いい生活」のために一生懸命つぶしてきたのが私たちの「経済発展」の姿である。ここへきて、うまくいかないことがでてきたからといって、また欧米の真似をして、スローフード、スローライフなどといったところで、今の生活は電気が止まったらすべて終わりである。昭和20~23年はまだ、夜は照明がつかないのがふつうだった。当時の東京全体の照明電力を、いまや大手スーパーが1社で使っている時代である。私たちの暮らしがいかに大量の電力に支えられていることだろうか。

CO2排出削減などが盛んに言われているが、「地球にやさしく」という、どこか他人事のような姿勢ではだめだ。いちばん大切なのは自分自身だと認めればいい。自分の健康さえ損なうような生活をまず考え直すという発想で将来を考えていくほうが、地球のため、などというより、現実と真剣に向き合えるのではないか。

今のように、人間の体にも地球環境にも無理のある生活は、あと10年もすれば大きく変わらざるを得ないだろうと私は思っている。どうにも避けられないことだ。ただし、人間はそう簡単に滅びるものでもない。今がどういう状況かを知り、体力さえあれば、いざというときには意外と乗り切れるものである。そのためにも、代替エネルギーに飛びつく前に、できるだけ無駄なエネルギーを使わないことが、自分自身を守る最良の方法だ。

◆私が考える「サステナブルな社会」

若い人に今、昭和30年代を懐かしむブームがあるようだが、ある意味で正しいことだろうと思う。昭和30年の消費エネルギーは今の約10分の1。さすがにそれでは厳しいだろうから、30年と大阪万博の間、今の3分の1ぐらいのエネルギーならなんとかやっていけるだろうし、地球環境の面ではそれぐらいが限界ではないだろうか。

◆次世代へのメッセージ

あと10年もすれば、今のような生活は大きく変えなくてはならないときが来るだろうが、今がどういう状況かを知り、体力さえあれば、いざというときには意外と乗り切れるものである。そのためにも、「地球にやさしく」という前に、自分自身の健康を守る意味でも、できるだけ無駄なエネルギーを使わない暮らしをつくってほしい。

◆受講生の講義レポートから

「環境問題を含めた社会問題には、歴史から学ぶこともとても重要だと思うので、事実を知る力を鍛えたいと思います」

「江戸もいい時代だったのでしょうが、今がそれほどひどいわけでもないと感じます。当時の循環型の暮らしも『環境のため』にやっていたわけではないでしょうし。今できることを模索するのが、私たちにできることだと思います。」

「私は江戸時代の生活のほうが性に合っているように思うので、勝手に『脱・平成』し、行灯のある生活に入ろうかと思います。江戸の暮らしに学び、賢明さを持ち続けることはできるものでしょうか」


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