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資源の循環と持続可能な生産・消費

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第1期・第5回講義録

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森口祐一氏(もりぐち ゆういち)
国立環境研究所 循環型社会・廃棄物研究センター長

1982年の国立環境研究所(当時国立公害研究所)入所以来、環境指標、環境勘定など、政策支援のための環境情報に関連するテーマに継続して関与。2001年4月に発足した循環型社会形成推進・廃棄物研究センターにおける政策対応型調査研究に参加し、2005年4月より現職。


◆講義録

今の社会には、木材、漁業資源、石油、石炭、農産物などの資源を地球から取り出し、製品をつくり、消費し、いらなくなったら捨てるという循環がある。一方で、捨てるだけでなく、下水道、道路、ダム、橋など構造物の蓄積もあり、これによって豊かな経済社会が成り立っている。ここで大切なのは、資源は有限であること、また資源の捨て場も有限であるということだ。例えば、二酸化炭素の排出は、大量のごみを大気中に捨てているのと同じことだ。大気という「ごみ捨て場」がいっぱいになっているのである。こうした循環が行き詰まり、私たちの社会の豊かさが危ぶまれている中で、資源の流れをサステナブルな方向にする方法を考えてみたい。

循環型社会とは?

大量生産・大量消費・大量廃棄型社会は悪いことなのだろうか。少なくとも以前はそうは考えられていなかった。高度経済成長期には「消費は美徳」とされ、消費することによって、経済に活力が生まれ社会が豊かになると信じられていた。ところが、廃棄物の処理に伴う環境問題が顕在化し、また、「持続可能な発展」という概念が生まれるとともに、環境問題は個別の汚染への対策を怠った結果であるという発想から、徐々にこうした経済社会のあり方自体に原因があると認識されるようになった。そこで、大量生産・大量消費・大量廃棄型社会とは対極にある、循環型社会に転換していこうという期待が集まることになった。

循環型社会とは何かについて、はっきりした答があるわけではない。この言葉が生まれた当初は、Recycling-based Societyと英訳されていた。これでは「大量生産・大量消費・大量リサイクル型社会」になってしまう恐れがあるが適切だろうか。循環型社会について考えるために、今の社会の何が問題なのかを考えてみよう。今のままではダメだという意識は少なくとも国内では高まっている。ところが、目指すべき循環型社会の姿や、そのために誰が何をするかなどについては、専門家の間でさえ議論の分かれるところだ。これでは市民も混乱してしまうが、多様な意見があること自体は悪いことではない。なぜ違うのかを考えることが大事である。PETボトルのリサイクルを事例に考えてみよう。



PETボトルに見る資源の流れ

ミニワークショップ

「便利な使い捨て社会の象徴であるPETボトルについて、どのような対策をとるのがいいか、次の5つの中から選び、グループで話し合ってください。環境に関心ある消費者ばかりでないことも前提に、現実的に採用可能なものを選んでください」


  1. 分別回収BOXに入れれば、政府や企業がきちんとリサイクルしてくれるはずなので今のままで特に問題ない。ごみ収集やリサイクルは税金で賄われているので、消費者は全体としては必要なコストを負担している。

  2. 容器の種類によって、分別収集などリサイクルにかかる費用が違うので、各々にかかる費用を商品に上乗せして、必要な費用を消費者がより公平に負担するようにする。高くても便利なものを選びたい人はPET を選ぶはず。

  3. リサイクルされるとしても大量に流通すると資源が使われるのだから、ガラスびんのようにリユース(洗って再使用)できるPETボトルを流通させ、1回しか使えないPETボトルはなくしていくべき。

  4. PETボトルは石油からできている。石油は枯渇するので、石油をなるべく使わない紙などの材料でできた容器に切り替えるべき。

  5. PETボトルだけでなく、缶も紙パックも、コンビニやスーパーや自動販売機で売っているような飲料はどれも資源を浪費している。昔のように水筒を持ち歩くか、お店で飲むようにすればよい。


2番、3番、5番を選んだグループが多いが、今の法律を表している1番を選ぶ人がほとんどいないのはどういうわけだろうか。消費者は分別収集に協力し、市町村が収集して、事業者がリサイクルの義務を負うのが現行の容器包装リサイクル法の枠組みである。各主体の役割を明らかにしているのだが、その分、主体間のコミュニケーションが不足しがちで、各現場同士がつながっていないという問題がある。



PETボトルの生産量はここ十数年で伸びており、現在は年間50万トンである。プラスチック全体の使用量は1000万トンなので、その約5%をPETボトルが占める計算になる。そのリサイクルに関しては、容器メーカー、飲料メーカー、消費者、市町村での回収、リサイクル事業者、という流れになっており、市町村での回収が50%、店頭などを含めると60数%が回収されている。

使用済みPETボトルのリサイクル費用は、分別収集のコストを含めても1本10円ほどだったが、徐々にコストが下がり、2007年には再商品化コストがマイナスとなった。つまりごみではなく資源として売れるようになってきたのだ(注:ただし、集めたから売れるのであって、集めるためのコストはもっと高い)。PETボトルから直接PETボトルをつくるリサイクル技術もあるが、原材料からつくる場合と比べ、石油の使用量はあまり変わらずコストも高い。そのため、フリース、絨毯、ワイシャツなどにリサイクルされることが多い。PETボトルに含まれる繊維に価値があるのだ。

回収されたPETボトルの行き先は国内に留まらない。容器包装リサイクル法では、国内メーカーでリサイクルすることとなっているが、実態としては主に中国に向けて1トンあたり2~3万円(2007年2月現在)で売られている。

PETはリサイクルしやすいが、弁当箱、菓子袋など「その他プラスチック」は、種々雑多なプラスチックが混ざりがちなこともあり、分別回収を経てリサイクル業者で有効なモノをつくるのに200円/キロくらいかかってしまう。ところが、実際の再利用に耐える品質のものは半分ほどしかないため、結局計400円/キロかかることになる。その上、10円/キロ程度でしか売れないのだ。一方で、原材料からつくる場合は200円/キロしかかからず質もいい。ワークショップで、リサイクルのために必要なコストは負担したほうがいいという意見もあったが、それで品質のいいモノがつくれるとは限らないのだ。



海外を駆け巡る資源

ほかの素材にもついても見てみよう。現在、年間2000万台の家電が捨てられているといわれる。例えば、エアコンは年間500万台が捨てられているが、リサイクルとして家電メーカーの回収ルートに乗るのは200万台のみである。つまり300万台が行方不明となっている。近ごろは、家電を無料回収している軽トラックが街中を走っているのを見かけることもあるだろう。あのように回収された家電は、海外へ流れているらしいといわれている。

また、消防団の半鐘や側溝のふたが盗まれることが増えていると聞く。金属スクラップの値段が上がっているためだが、アジアの途上国での資源需要を満たすために売られているのではないかといわれている。

世界各地の粗鋼生産量を見ると、日本はこの数十年、年間1億トンを保ち、米国やEUは1億5000万トンほどで推移している。一方、中国の生産量は去年は4億トンに上り、かつてない急激な伸び方を見せている。鉄に限らず、中国は今、大量の資源を必要としており、世界中の資源の大きな吸引力となっている。

当初は、日本国内でリサイクル型の社会をつくろうと想定していたが、今は中国にどんどん資源が飲み込まれているという状況だ。これは悪いことなのだろうか。日本からのリサイクル資源を輸入するおかげで、中国では新たな資源を掘り出さないで済んでいるともいえるのかもしれない。

大量のごみが出るのは、大量の資源を使っている証拠であり、資源の採掘が与える環境負荷は大いに問題である。だが、そうした個別の負荷が問題なのではなく、そもそも大量生産・大量消費・大量廃棄という社会は続かないという認識が必要だ。途上国が先進国同様の社会をつくっては、地球に余裕がなくなるというのでは不公平でもある。リサイクルすればいいのではなく、そもそも不必要な資源を使わないで済むように、3R(Reduce、Reuse、Recycle)という優先順位で、これからの社会を築いていく必要がある。

どう対応すればいいのか

かつての公害にはEnd-of-pipe(パイプの末端)、つまり排水処理施設のように、環境に出ていく直前で問題に対処していたが、それでは限界がある。二酸化炭素の排出など、その方法ではとても無理なことがわかるだろう。元を断つ方向に転換する必要がある。

こうした点を含め、今後どのような社会を目指していけばいいのだろうか。平成14年の「循環型社会白書」には、技術開発推進型、ライフスタイル変革型、環境産業発展型という3つのシナリオが描かれている。あまり極端な方向は難しいので、環境技術を進め、経済のあり方を工夫し、豊かさを維持しながら発展してこうという、3つめのシナリオに落ち着くのではないかと私は見ている。

環境問題は確かに制約だが、日本の社会や技術は制約を乗り越えるのが得意だ。うまくその力を前向きに生かして、日本は持続可能な社会のいい国だという国際的な地位を築けるはずである。資源・エネルギー生産性に優れた技術で、温暖化などの環境制約や資源制約を克服し、環境産業革命の発信地として、世界の持続可能な生産・消費の実現に貢献できるだろう。

「人」という資源を生かす

こうした、世界の中での日本の競争力という視点と同時に、過疎化など深刻な問題を抱える地方の問題も解決しなければならない。第一次産業の維持や福祉の充実など、地方をどう元気にしていくかという問題は、必ずしも「環境」の領域に留まらないが、日本のサステナビリティにとって大事なことだ。環境と福祉、経済などを同時に解決する回路をどう見つけるか、都市部だけでなく、日本全体がどういう国でありたいか、この国の望ましい姿を考えないといけない。

地下鉄などの公共交通が発達しておらず、移動には自動車が欠かせないなど、地方はエネルギー効率が低い面がある。高齢者の医療サービスの点から見れば、広範囲に散らばって住むよりも一定の地域に集まって暮らすほうが便利かもしれない。地方が固有の豊かさを追求しつつ、限られた公共の財源を最大限に生かそうとすると、環境問題とそのほかの問題を同時に考えるべき場面が多い。こうした問題意識は、あまり環境問題の研究から出ることはなく、むしろ政治家が取り組むべき領域だろう。とはいえ、研究者も環境問題を切り口にして、明るい地方をどうつくるかという視野を持つべきだ。

資源には、化石燃料や鉱物、水、土、森林などの自然資源だけでなく、人間がつくった構造物や建築物もある。だが、現代の社会において何よりも大切な資源は「人」ではないだろうか。サステナビリティについてはモノの限界をわきまえないといけないが、枯渇性のモノがなくなるからといって思考停止してはますます将来は開けない。モノがなくなっても生きていける智恵を蓄えることがとても重要だ。ある程度のモノを消費しながらも、一方では智恵という知的資産を蓄積し、将来の問題を解決していく明るい未来をつくる方向に力を発揮してほしいと思う。

若い世代には、「社会はどうせ変えられない」などと受身の考え方をしないでほしい。他人と過去は変えられなくても、自分と将来を変えることはできる。物事を深く掘り下げると同時に広く浅く学び、部分と全体のつながりが見えるように、現場を見る目と大局的に考える視点を持とう。さらにコミュニケーション能力を磨いて、周囲の人々とともに社会に向き合ってほしい。

◆配布資料(PDFファイル 約1,904KB)

◆私が考える「サステナブルな社会」

資源・エネルギー生産性に優れた技術など、日本の社会や技術は、環境問題という制約を乗り越えるのが得意なはずです。そうした技術を進め、経済のあり方を工夫し、豊かさを維持しながら発展してこうという方向性がいいのではないでしょうか。環境産業革命の発信地として、世界の持続可能な生産・消費の実現に貢献していきましょう。

◆次世代へのメッセージ

「社会はどうせ変えられない」などと受身の考え方をしないでほしい。他人と過去は変えられなくても、自分と将来を変えることはできます。物事を深く掘り下げると同時に広く浅く学び、部分と全体のつながりが見えるように、現場を見る目と大局的に考える視点を持ってください。さらにコミュニケーション能力を磨いて、周囲の人々とともに社会に向き合ってほしいと思います。

◆受講生の講義レポートから

「日ごろの生活で使用しているペットボトルや家電製品に、どのようなコストがかかっているのかを初めて知りました。こうしたことを、より多くの人が知ることで、意識を変えていくことができるのではないかと思います」

「ワークショップを通して、既存のリサイクルシステムひとつとっても、人それぞれ考え方がずいぶんと違うものだと実感しました。最終的にあるべき姿に到達するために、いろいろな考え方をする人たちをどう巻き込んで、政策にしていくのかも重要だと再認識できました」

「循環型社会に近づくためには、制度の改善やリサイクル技術の向上など、すべてが必要ですが、現状を変えていくには、結局は人の価値観がどう変わっていくかが最重要テーマなのだと思います」

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