自然に学ぶ技術の事例を集めていくと、「自然に学ぶ」にもいくつかのレベルがあることに気づきます。最もシンプルなのは、自然の動きに学ぶ技術です。そこから人間の加工度がもう少し高いものとして、形態・構造に学ぶ技術や、生態系に学ぶ技術があります。そして最も加工度が高く、今後生命科学やナノテクノロジー分野が発展するにつれて事例が増えるであろうと思われるのが、生命の化学プロセスに学ぶ技術です。
しかし、化学に専門知識がないと私たちには、この分野はなかなかわかりにくいのが現状です。「化学のレベルで自然に学ぶ」とは、いったいどういうことなのでしょうか。今月は、生命理工学の分野で研究と教育に携わる慶応義塾大学理工学部の藤本啓二助教授に、「人工のエンジニアリング」と「自然のエンジニアリング」との違い、また、生物に学ぶものつくりの可能性について話を伺いました。
Q. 「人工のエンジニアリング」、「自然のエンジニアリング」とは何でしょうか?また、先生にとって生物に学ぶものつくりとは?
これまで人間が手がけてきた「人工のエンジニアリング(ものづくり)」は、多くの場合、変形や加工、削る、合成するといったいわばトップダウンで造るものです。しかし自然発生的に生まれ、長い歴史を重ねて造りあげられてきた「自然のエンジニアリング」では、自ら組織化して組みあがっていくボトムアップで造られていくものが多いといえます。
この自己組織化がものづくりで可能になれば、構造物をつくるためのエネルギーを劇的に下げることができます。そうした観点から私たちは、研究のアウトプットとして具体的な工学製品を出すわけではありませんが、生物の構造のあり方をいかに捉えて人工のエンジニアリングに生かすか、という研究をしています。
注)天然高分子
高分子(高分子化合物)とは多数の原子が共有結合してできる分子のことです。例えば生物を形づくっているのは、セルロースやタンパク質、核酸など数千もの分子がつながった天然高分子(生体高分子)です。うまく集合・複合化してさまざまな機能を発揮し、使い終わると、ほとんどが分解されてリサイクルされます。
Q. どういうきっかけから、こうした視点に至ったのですか?
学生時代、医学に関心をもち人工心臓や人工関節をマテリアルの面から研究していたのですが、その際の最大の課題は「生体適合性」の問題でした。人間の生体は、自らの中に人工物質が入ってくると「異物」として認識し、拒否反応を起こします。社会からの人工心臓や関節への期待が高かった中で、どうしてもこの課題が乗り越えられず研究は挫折の繰り返しでした。
その体験の中で私は、「生体の組織には組織である所以がある」ことを思い知らされました。つまり、生体が組織や細胞を異物と認識しないのにはそれだけの理由がある、ということです。生物を形づくる生体材料(バイオマテリアル)の世界には、これまでの人工のエンジニアリングにはなかった、自己組織化、自己増殖、ポジティブ・フィードバック、適応(学習)、ニッチ、偶発といった、原理・プログラムが内蔵されています。こうした原理を応用した新しいものづくりが必要になるだろうと考えたのです。
Q. 化学のレベルで「生物に学ぶ」とは、具体的にはいったいどういうことなのでしょうか。わかりやすく教えてください。
生物にどのレベルで学ぶかは人によって違うでしょう。化学では、原子や分子のありよう、つまり結合や電子の状態を見ていきます。生体材料と人工物との違いは、原子や分子の組み合わせ方と組み上がった後の状態にあります。生命の最小単位である原子や分子は、実は静止しているわけではなく、常に動的(ダイナミック)な状態にあり、生体組織のレベルにも動的な状態を見出すことができます。例えば、体内における組織の再生は、周辺環境とのダイナミックな相互作用があって始めて可能なもので、部分的に外部に取り出してもなかなか再生はされません。
このように生命現象とは、いろんな劇場でいろんな演劇が行われていて、更にそれらがネットワークで結ばれているようなものです。では、いったい分子たちはどんな会話をしているのか。そのことを知るために、また引き出すために、私たちは演出家がそうするように、少しひねりを加えてみたり、状態を変えてみたりするのです。例えば、周辺環境を材料学的に変えると生物はどのような反応を示すかを実験してみます。
こうした研究から見えてくるのは、生物に元々備わっている「ものづくり」の新たな原理です。例えば、ヤモリは逆さまに壁などに張り付いても落ちませんね。昨年ある学者によって発表されたことですが、これは、ヤモリの指先に生えているたくさん微小な毛の表面と、壁の表面とがぴったりあうことで吸着する、分子間力というものによるものだと解明されました。
ものづくりでは、ものとものとが引き合う力が大切です。特に、マイクロやナノといった微小なもの世界では、分子間力という力によって、ものが集まり、相互作用し、並べ替えが行われて新しいものが形づくられていくと考えられています。
2002年にはセキスイ自然に学ぶものづくり助成を受けて、「ナノ粒子からなる柔軟な組織構造体の創製とナノデバイスの開発」の研究を行いました。人間の臓器や細胞は、自発的に組みあがり、自己集積化(セルフ・アセンブリー)して作られますが、この仕組みに学び、ナノ粒子をくみ上げていくことで、生物組織のように柔軟でありながら丈夫な構造体をつくれないか、と考えています。さらにこの文脈に沿って、細胞と細胞のコミュニケーションや、タンパク質の構造についての研究も進めています。
Q. 今後、生物に学ぶ化学が発展していくために、どんなことが必要でしょうか?他の研究者や企業へのメッセージがあれば教えてください。
私の研究領域は、生物学と化学の間といえます。いわゆる工学的なものづくりの基盤を開拓することを指向しています。多くの卒業生たちはものづくり企業に就職していきます。そのことを考えると、我々の研究に関して、もっとそうした企業とのやりとりや互いのフィードバックがあるといいかもしれません。それを通して生物に学ぶ化学に立脚した、役に立つものを生み出すことができるようになると思います。
また、生物学に対して望むのは、ゲノムやポストゲノムなど一部の研究に集中するのではなく、多様な生物の世界について研究している数多くの活動に光をあてて欲しいと思います。すべてがゲノムで説明できるのではなく、もっと豊かで不可思議な生物の世界が存在しているはずで、それらをわかりやすく伝えて欲しいと思います。そうすれば、もっと私たち研究者は、もっと生物界の様々な様相を自らの切り口で研究に取り入れやすくなるでしょう。また、理系以外の人たちもそれらとの出会いに感動を覚えるでしょう。
持続可能な社会に向かって、私たちは天然高分子をもっともっとうまく使うことが必要になると思います。実際に、生物資源を車のバンパーに使ったり、石油ではなくトウモロコシから高分子を作ったりする取組みが実際に進んでいます。天然高分子は生物が培ってきた生物資源で、石油と違って再生可能でもともとあるものです。今ムダにされているものをムダにしない、使っているものは安心して捨てられるようにできる技術が必要なのです。
もっと大切なことは、こういったことを形にすることによって、ものづくりを行っている人たちの姿勢が変化することです。例えば自然に対して謙虚になること、あるいは可能であるが敢えてつくらないといった態度をとるようになると思います。そして社会全体が科学技術について思考を停止せずに自然にすんなりと理解することにつながってくれればうれしいですね。化学の研究も人間の活動のひとつで特別な行為ではないと思ってもらえたら、それだけで研究している意味があると思います。
以上です。
(インタビュアー 小林一紀)
※本インタビューはJFSのニュースレターにも同じ内容を掲載しております。