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誰もが働きやすい『ワークライフバランス』をめざして

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第3期・第6回講義録

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竹信三恵子氏
朝日新聞編集委員

経済部記者、シンガポール特派員、学芸部次長などをへて2007年4月から編集委員(労働・ジェンダー担当)。2005年まで内閣府男女共同参画会議専門委員。少子化と女性労働、非正規労働者と貧困、ワークライフバランスなどくらしと労働の接点について問題提起を続ける。主著に『ワークシェアリングの実像』(2002年、岩波書店)など。

◆講義録

最初に、なぜ今、ワークライフバランスが議論になっているかをお話ししたい。日本は「ワークワークバランス」とでもいうべきか、仕事ばかりしている人がとても多く、「ワーク」と「ライフ」のバランスを保つのが大変難しい社会だからだ。

例えば、労働時間が非常に長い人と短い人が二極化している。総務省が毎月実施している「労働力調査」という統計によれば、週45時間以上の長時間労働がものすごく増える一方、週35時間以下しか働かない人も増加傾向にある。人件費を抑えるために、正社員の数を減らし、その分、パートやアルバイトなどを増やしていることが大きな原因だ。仕事量が減っているとは限らないので、当然ながら、正社員一人当たりの仕事量がものすごく増え、長時間労働を強いられる。とはいえ、パートやバイトのほうが働きやすいということではなく、こうした非正社員は、一般に契約期間が短く、時給もたいへん安い。ワーキングプアといわれるのは、こうした期間限定の非正社員であることが多い。

つまり両者共にとても幸せでない人生を送っており、ちょうどいい働き方を増やそうというのが、最近議論されているワークライフバランスの本当の意味だ。


すでに「待ったなし」の状況にある日本

私は1980年代半ば、経済部の記者として、通商産業省(現経済産業省)を取材していた。当時通産省では、今でいうワークライフバランスのような、労働時間短縮を促す施策を導入し、人間らしい働き方ができるような仕組みづくりを考えていた。というのも、貿易摩擦を背景に「日本人は働きすぎだ」とアメリカに批判されていたからだ。それを受けた通産省が労働時間を縮めようとしていたのだ。

しかし当時の担当課長は、ワークライフバランスのことをまったく分かっていなかった。彼は「日本人が休まないのはバカンス費用が高いからだ。ゴルフ場など、安く使えるレジャー施設をたくさんつくれば休むようになる」と言うのだ。なぜそういう発想になるのだろう? もともと長時間労働が当たり前の役所にいたので、「家にいたところでやることがない」とその課長は思っていたらしい。専業主婦の奥さんがいるので、家にも家事や子育てという「仕事」があるとは想像もできず、休みの日はゴルフに行くしかないと思っていたようだ。

私は幼い子どもを育てている時期だったので、「私は子どもを見るために週末は休みたいし、平日も仕事が終わったらすぐ家に帰りたい。ゴルフ場なんて行かなくても、仕事を離れて家にいたいというニーズもあるのでは?」と言ってみたのだが、どうもピンと来ていないようだった。

人の生活には、仕事以外にも、子育て、友だち付き合い、天気のいい日に洗濯物を干して「いい気分だな」と思う感覚など、さまざまな面がある。いくらワークライフバランスに向けた施策をつくろうにも、それが何のためになるのかが分からなければ、実効性のあるものはできないだろう。

ご存知のように、日本は少子化で子どもの数がどんどん減っている。つまり労働力人口が減っているのだ。この先もっと減るだろう。すると、女性や高齢者にもなるべく働いてもらう必要が出てくるが、これまでの「男性並み」に長時間労働をしていたら、とても子どもは育てられずに、ますます少子化が進むだろう。つまり、生活と仕事を両立ができる仕組みをつくるしか日本社会が先に進む道はないという、待ったなしの状況だということを認識してほしい。


ヨーロッパ流ワークライフバランス

こうした問題に、海外ではどのような対策が取られてきたか見てみよう。

スウェーデンでは、1960~70年代の労働力不足の時期、家庭にいた女性に働いてもらうか、海外から移民を受け入れるかを検討し、結局女性を受け入れる仕組みづくりを優先した。女性の社会的コストのほうが安かったからだ。もし労働力として移民を受け入れるなら、語学教育費用や、住宅を準備するなどのコストが必要になるだろう。ところが、スウェーデン女性ならその必要がない、と判断したわけだ。

ただし、女性に働きに出てもらうには、それまで女性が担っていた家事、育児、介護といった、目に見えない仕事を社会が担う仕組みを整えなければならない。そこで公的資金で、育児や介護の施設をつくった。外に出るようになった女性の一部はそうした施設で働くようになったが、主婦としてではなく働き手として就業するので、ほかの仕事についた人と同様に、当然賃金を得て税金を払うようになった。おかげで国としての財源も増えたというのだ。

景気の落ち込んでいた1970年代後半から80年代に、また別のアプローチで成功したのがオランダだ。当時、ヨーロッパ中で産業の空洞化が進み、オランダも大きな財政赤字に苦しんでいた。男が外で働き女は家庭を守るという役割分担がはっきりしていたため、夫が失業した途端に一家の収入源が絶たれる、という状況も少なくなかった。そこで女性たちも焦って「外で働かなくちゃ」と思ったのだが、専業主婦が当たり前の社会には、子どもを預ける保育園などあるはずもなく、子どもがいる女性はフルタイムで働くことができなかった。

そこで考えたのがパートの均等待遇だ。仕事内容が同じなら、フルタイムの人もパートの人も、労働時間にかかわらず時給を同じにし、社会保険や有給休暇なども時間に比例して差別なく支給されるという仕組みを法制化した。その結果、労働時間は短いが働き甲斐を感じるパートタイマーが大勢生まれた。

この仕組みが定着して、オランダ社会は消費が活性化した。女性も収入を得られるようなったため、モノを買うようになったのだ。景気が持ち直すと雇用が増え、さらに景気が上向くという好循環が生まれ、あのひどかったオランダ社会が復活した「オランダの奇跡」として世界に知れ渡ることとなった。


発想の大転換が生んだ「べてるの家」の取り組み

こうして「スウェーデンでは」「オランダでは」と紹介されると、「では同じことをやろう」という発想になりがちなのが日本のよくないところだ。ヨーロッパが正解というわけでは必ずしもない。ただし学ぶべきは、これまでと同じ発想では、ワークライフバランスなど絶対に実現できないということだ。今ある資源を有効に使って、少しでもまともな働き方をつくっていこうと、みんなで知恵を出し合って工夫し、変えられるものはどんどん変えていけばいい。現に日本でも面白い事例が出始めている。

北海道の浦河という過疎の町に、精神障がいを持った人が共同生活を営む「べてるの家」という地域活動拠点がある。ここで生活する人たちは、働きに出たくても、障がいのために長時間働くのはとても難しい場合も多い。そこで、「一人1時間しか働けないなら、8人で8時間働けばいい」と考えるようになった。コペルニクス的な発想の大転換である。少しずつの労働では、なかなかフルタイム並みの収入にはならないわけだが、福祉で賄われる補助金などと合わせて、何とか生計を立てていこうという試みだ。

例えば、病院などに本を配達していた書店が、経費削減のために配達を打ち切ろうとしていた。そこで、べてるの人たちが「私たちは頻繁に通院しているから、ついでに本も運びましょう」と配達の仕事を請け負うなど、町中の「すき間仕事」をうまく見つけていった。

こうした取り組みは、彼らの「働きたい」という思いから始まった。ソーシャルワーカーが「みんな、何がしたい?」と聞くと、多くの人が「金を稼ぎたい」と言ったそうだ。貪欲に聞こえるかもしれないがそれは違う。人間にとって、仕事をしてお金を稼ぐことは、社会に存在を認めてもらう機会を得るという意味で、一種の人権といえる。

皆さんの中にも、障がいを持つ人が働くのは無理じゃないかと思っている人がいるかもしれない。それは、誰もが同じ働き方をしなくてはならないと思い込んでいるからではないだろうか。ヨーロッパでは、障がい者の就労に際して、きちんとサポートする体制が整っていることが多いが、日本ではいきなり現場に放り込まれ、周りと同じように働けないと「ダメじゃないか」と追い込まれて辞めてしまうことが多い。初めのスタートラインができるだけそろうような仕組みを整えれば、誰もが各自のできる範囲で意外と働いていけるものだと思う。


人間らしさを大事にする気持ちが出発点

これは何も障がい者に限った話ではない。幼い子どもを抱えた母親も同じようなハンディを背負っているといえる。小さな子どもは何かと熱を出すものだ。どうしても仕事を休まないといけないことも多くなる。そうした場合に、「そんなに休んでばかりなら辞めてくれ」というのではなく、「子育てしながら働くことで新しく身につく知識やノウハウを、もう少し余裕が生まれたら、存分に仕事に生かしてもらおう」と周りが思えるかどうかで、働きやすさは相当に変わってくる。

ワークライフバランスは、それほど難しいものでもない。まずニーズをつかみ、それに合うものを、それぞれの職場で組み合わせていけば、本当はかなりのことが実現できるはずだ。ただし、そのためには、各自の気持ちの持ち方が問われることになる。

ワークライフバランスとは、単に早く家に帰ることではなく、要するに人間を大事にする発想だ。例えば、とても忙しいのだが、ある人に手紙の返事を書きたいとしよう。そのとき、「やさしい返事を送ってあげたいから、この時間は仕事の手を休めよう」という判断ができるかどうか。これがワークライフバランスの気持ちだ。人へのやさしさや、人間らしい生活をまず優先して、取りあえず仕事を脇に置いておく必要がある場合もある、という気持ちを持つこと。これがワークライフバランスの第一歩だと思う。

もちろん、気の持ちようだけで実現できるものではない。社会の仕組みや、みんなで声を上げていくための横のネットワークも必要だ。一人だけだとなかなか言えないことでも、「私もそうしたい」「私にも必要だ」とみんなで言えば実現できる。

本当の「自立」とは、一人だけでがんばって生きていくことではない。困ったときに頼れる人を探して助けを求められることだ。その意味でも、仲間をつくり、仕組みを変え、ふさわしい政治家を選んでいくこと。これがワークライフバランスに至る道だと私は思う。


◆配布資料

「だれもが働きやすいワークライフバランス目指して」(PDFファイル 約18KB)


◆私が考える「サステナブルな社会」

誰もが自分の生活とバランスを取りながら、あまり過酷でなく、楽しく働ける仕組みが必要になってきています。そうしなければ日本の将来はない、という状況です。そうした社会を築くには、これまでの考えにとらわれない発想の大転換が求められているのです。


◆次世代へのメッセージ

何か問題を見つけたら、ほかにも困っている人や同じ問題意識を持つ人を探し、ネットワークをつくってください。一人だけの声はなかなか届かなくても、仲間と一緒なら実現できることがたくさんあります。「こらから世の中どうなるか?」ではなく「どうするか?」と考え、声を上げていくことが大切です。


◆受講生の講義レポートから

「さまざまなことを乗り越えてきた女性の強さのようなものが感じられ、私も竹信さんのような女性になりたいと思いました。みんなが協力すればできることがある、というお話を聞いて勇気が出ました」

「ワークライフバランスは、最後は人の心の持ちようなのだと思いました。スウェーデンのように、女性の働き手を尊重する気持ちや、オランダのように『自分にも恩恵が回ってくるから』と、ニコニコと我慢する気持ちで、他人や自分を大切にすることが重要なのだと、よく分かりました」

「ワークライフバランスも環境問題と同じく、問題の発見→知識の共有→解決策の考案→人を巻き込む、という流れがあることに気づかされました。発想の転換ができるように、頭を柔らかくしておきたいと思います」

「僕はスウェーデンの企業で働いていますが、とても働きやすいです。今回の講義を通して、自分の職場のワークライフバランスをとても身近に感じました」

「学生のうちはあまり実感がないのですが、仕事と生活を両立するのが難しい国は嫌だなと感じます。少数者同士がつながっていくことの大切さは、本当に多くの問題にも当てはまることだと思います」

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