ニュースレター

2009年08月11日

 

農のある暮らしとライフワーク

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私がヨロコブ、地球がヨロコブ 21世紀の生き方提案 ~半農半X~

JFS ニュースレター No.80 (2009年4月号)

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リーマンショックに始まる世界的な経済危機のあおりをうけて、日本でも倒産やリストラ、派遣切りが続出しています。加えて、何年も前から話題となっている若い世代の就職難に高い離職率、わずか4%のエネルギー自給率に、40%しかない食糧自給率。高齢化社会がますます進む中、介護の問題も大きくなり、農家の3分の2以上も65歳を超えています。心の病を訴える人も急増し、自殺者は年間3万人に上る・・・社会のあちこちで取り組むべき問題を抱えている日本ですが、そんな日本で、こういった問題を即解決とまではいかないものの、大いに軽減し、徐々に解決に導き、さらに魅力あふれる多様な未来につなげる可能性を秘めたライフスタイルが静かに広がりつつあります。「半農半X」というコンセプトです。

半農半X?

「半農半X」とは、京都府の北部にある綾部市在住の塩見直紀さんが1990年代半ば頃から提唱してきたライフスタイルです。職業としての農業ではなく、自分や家族が食べる程度の小さな農ある暮らしをしながら、自分が好きなこと、やりたいこと、誰かのために役に立てること、使命、天職、ライフワークを実践すること――それを個々人の「X」と名づけました――で社会に積極的に関わっていくというものです。

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このような生き方は20世紀型の大量生産、大量消費、大量かつ長距離な輸送、大量廃棄と訣別し、一人ひとりが本来生まれ持っている天与の才を存分に発揮できる生き方であり、地球にとっても私たち人間一人ひとりにとっても持続可能で幸せな生き方なのではないか――と自ら半農半Xを実践し、また多くの人のミッション、すなわち「X」探しを手伝いながら、塩見さんはそう実感していると言います。

きっかけは環境問題

塩見さんがこのような考えを持つに至ったきっかけは、環境問題でした。それが発端となって、生き方探しが始まりました。生まれ育った故郷の綾部を離れ、都会に暮らす中で、環境問題を将来世代の観点から考え、生き方、暮らし方を模索してきた結果、自分たちの食べる分くらいは自分たちで作る、という自給農を志さないではいられなくなったといいます。

また、環境問題は心の面が大きいと塩見さんは考えています。人は必ずしも必要なものを買うためだけに消費しているわけではありません。先進諸国においては、むしろ何か精神的に満たされない部分を埋めるために、後先考えずに消費に走ってしまったり、テレビや新聞、雑誌のコマーシャル、チラシ、店内でのPOPなど、さまざまな情報に追い立てられるようにして、衝動買いしてしまうことも多いのではないでしょうか。

そんな消費の場面では、地球環境や生産者の労働条件などに思いを馳せる余裕はもちろんなく、本当に今必要なのか、自分の価値観に合っているのか、将来的に役立つものか、などといった自分に関わることさえも深く考えずカゴに入れてしまう。そんな半ば依存症とも呼べるような消費の欲望と行動や自己探求の未熟さが、環境問題の根源にあるのではないかというのです。

綾部という田舎で実際に「半農」の暮らしをしている塩見さんは、自分も、周りの同じような暮らしをしている人も、また最近全国に増えている「半農半X」な暮らしをしている人々の話を聞いても、「生活収入は減少するけれど、心の収入は大きくなる」という原則を見出しています。つまり日々の小さな農ある暮らしと自分が納得いく大好きな仕事のある生き方で心が満たされているから、安易に消費に走ることもなく、その必要もなくなるというわけです。また、毎日の天候や水、土壌、空気といった要素が大きく影響する農業が生活の一部になるので、当然環境にも関心を向けずにはいられなくなるし、環境の変化に対しても敏感にもなり、またレイチェル・カーソンのいうセンス・オブ・ワンダーも豊かになっていくのです。

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味噌づくりの様子


「農」と「X」両方あるからうまくいく

半農半Xを推奨する理由として、塩見さんは「農」と「X」両方を実践することで相互に高め合い、深め合うことができるという点を挙げています。「農」を実践することは自然と向き合い、調和すること。生命の循環、生と死を見つめ、命を育むということを体験を通じて心身で感じ取ること。生産の場と消費の場が隔絶された現代において、多くの人が失いつつある感覚や感性を「農」は思い出させてくれます。

一方で、人は必ず折に触れ、自分自身に問いかけます――私はいったい何のために生まれてきたのか、そもそも私とは何なのか、この一生でやり遂げるべき使命は何なのか――と。その問いの答えが、寝食を忘れるほど没頭できること、体中にワクワクした感覚がみなぎるようなもの、生きていて楽しい・良かったと思えること、つまりその人だけに与えられた「X」を実践することなのです。農に携わりながら感性を高め、ただ黙々と作業をする中で思索を深めること、感受性が磨かれることでそれが「X」に活きてきます。また、このような経済危機の時代、ともかく来年の夏までの米がある、と思えることは何物にも変えがたい安心感でもあります。

半農半Xで知る本当の豊かさ

かつては、たくさん所有していること、大きいことが豊かさの象徴で、人はそれを求めて生きてきました。しかし、今実際に価値観がじわじわとシフトしつつあります。「本当にたくさん持っていたら幸せになれるのか?」と疑問をもつ人が増えているのです。

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半農半Xデザインスクール

現在、「半農半X」のコンセプトを講演、書籍、インターネット配信等々で広く伝える塩見さんは、手ごたえとして、20~40代、つまりこれまで重ねられてきた「自然資産の食いつぶし」という前世代のつけを払わざるを得ない、いわゆる「赤字世代」が、特に強い関心を示していると言います。独り占めするのではなく分かち合うこと、大きいから良いのではなく自分サイズであること、エネルギーを浪費し、環境を犠牲にしてまで疾走するのではなく、自然のもつスピードに委ねること、そんな心地よさに気づき、それを生活に取り入れようとする若い世代が着実に増えているのです。

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中国語の翻訳本

塩見さんの住む綾部でも、地元民、都市からの移住者、また老若男女を問わず、それぞれの人が自分の「X」について想いを巡らせており、実際にさまざまな「X」が花開きつつあり、コミュニティも活性化しているようです。例えば70歳を超えた女性が広い農家を活かして農家民泊(グリーンツーリズム)を始めたり、アンネ・フランクにちなむバラを育苗し、平和の象徴として寄贈する元先生がいたり、画家夫婦が自然の感性を肌身で受けながら創作と農業の両方に携わったり。そんな綾部の情報に惹かれて見学に来る人も多く、著書が中国語に翻訳された関係で台湾からも視察が来るほどになっているそうです。

もちろん綾部だけではなく、全国各地で「半農半○○」を実践し、心豊かな暮らしに大満足をしている人が続々誕生しています。塩見さんは、多種多様な「X」を持った人々で形成される社会にこそ、新しい満ち足りた暮らし、幸福な暮らしのひとつのモデルがあるのではないかと考え、そのような町づくりを今後のテーマに掲げているそうです。

ただ、「半農半X」を実践するには都会を離れて田舎で暮らさなくてはならない、というわけでは決してありません。ベランダ農業でも、屋上菜園でも、週末農業でも、市民農園でもいいのです。その人の「X」次第で都会を離れられない人も当然いるはずですから、柔軟な考え方が大切です。また、最初から完璧はありません。農もXも初めは1%からでも大丈夫。こうでないと、という公式があるわけではないので、できることから始めてみること、種をまず1粒播いてみることが「農」に近づき、「X」に巡りあえる早道なのかもしれません。

「半農半X」というコンセプトはようやく広がり始めたばかりですが、自給率、食、雇用、心、環境、高齢化社会、エネルギー、教育、お金中心主義といった現代社会の抱えるさまざまな問題に、一筋の光を投げかける生き方を示しているのではないでしょうか。その答えは10年後、いえ、数年後には出ているのかもしれません。

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(スタッフライター 長谷川浩代、写真提供 半農半X研究所)

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